花
私が花のように生きることが出来るのなら全てを祝って生きて行きたい。
すべての人の努力が実り幸福の種を播くことが出来れば地上は楽園になる。
私が花のように美しいままに死んでいけるのなら世の中を変えてから死んでいきたい。
すべての兵士に花をささげ子供たちの笑顔が絶えない平和な世界をつくりたい。
そんなことを考えていた青春が懐かしい。
全てが全力投球で生きてきた為に疲れる時もあったが、朝になれば又全力投球の
生活が始まっていた。365日朝から夜まで録音に明け暮れて疲れていたのも確かです。
担当の歌手がヒットを出すと会社は売り上げ確保のために次から次へと新曲を
発売することを望んできます。心も体も消耗してしまいます。
その季節だけに咲く花のような生き方に想いを寄せた時期もあった。
「さくら」でデビューした森山直太朗とは子供の頃から私の家族と時間を一緒に
共にしました。度々私は酔っ払い彼のベッドで眠ったことが懐かしく思い出されます。
サッカー好きな少年が歌手として「さくら」でデビューした時には驚きました。
母親の森山良子さんとも仕事の関係で長いおつきあいでした。
森山良子さんは和製ジョンバエズと言われてフォーク会の女王の位置を長年維持して
きました。その頃よく聞いたジョンバエズの「Where Have All The Flowers Gone」
キャロルキングの「You’ve Got a Friend」も大好きな歌でした。
これらの歌は森山良子さんもよく歌い大好きな曲でした。
フォークソング全盛時代の変わり目が花の成長と被さって面白く考えられました。
「愛と平和と友情と」普通の暮らしを慈しむ「心の歌」の時代でした。
70年代~80年代、あの頃は全ての人が全力投球の時代でした。
清く貧しく美しく生きていたのでした。60年代のフラワーゼネレーションの時代です。
不思議です。突然夜中にこの歌「花」が思い浮かびYoutubeで聞き直すと、
頭から離れなくなりました。そんな経験は誰にでもありますよね。
歌手の中(あたり)孝介はCBSSONYの関連会社エピックレコードジャパン所属です。
作曲は森山直太朗で作詞は御徒町凪の「さくら」以来のコンビです。
作詞家の御徒町凪とは面識がないですが作詞家として評価の高いのも分かります。
私の好きな作詞家は歌い手が自分で描いたかのような表現ができる人です。
森山直太朗とは無二の親友だと聞き納得しました。
「花」
歌:中孝介
作詞:御徒町凧
作曲:森山直太朗
もしも あなたが 雨に濡れ
言い訳さえも できないほどに
何かに深く 傷付いたなら
せめて私は 手を結び
風に綻ぶ 花になりたい
もしもあなたの 夢破れ
行き先のない 日々は暮れゆき
信じることさえできなくなれば
せめて私が 声にして
明日に揺蕩(たゆた)う 歌をうたおう
花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
人はみな 人はみな
大地を強く踏みしめて それぞれの花 心に宿す
例えこの身が 果てるとも戦(そよ)ぐ島風 願いに染まれ
花のように 花のように
ただ風に揺れるだけの この生命
人と人 また 人と人
紡ぐ時代に身をまかせ それぞれの実が 撓わなればと
花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
人は今 人は
今大地を強く踏みしめて それぞれの花 心に宿す
感動した。子供の頃元気に騒いでいた森山直太朗の曲に泣いた。
父親とも長いお付き合いで我が家の子供達の遊び相手にもなってくれました。
人生の出会いは不思議です。
「人の出会いは 一瞬早からず また 一瞬遅からず
出会うべき人には 必ず出会う
しかし 求める気持ちが無ければ 運命の人も 目の前を通り過ぎる」
哲学者 森信三
正にその通りです。
プロデューサーとアーティストの関係はプライバシーにかかわる寸前で止めます。
深くかかわりすぎると作品作りに影響を及ぼすからです。
個人的な相談を受けることもあるのですが少し距離を置いて相談に乗ります。
それはアーティストのプライバシーも事務所の責任で管理しているからです。
森山家とは異例中の異例で家族付き合いをしていました。
事務所公認の間柄でした。
それも森山良子さんの人柄が大きかったと思います。
勿論、直太朗の父親とも仕事仲間であり人生の相談をしあう仲でした。
花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
あなたにとっての「花」とは何でしょうか?
私にとっての「花」は家族と恩学です。