泥中の蓮&慈悲心
慈悲の心を持つということは成功者や修行達成者だけの言葉ではない。
私たちの日常生活の中でも、慈悲の心を持つことは可能なのである。
慈悲の心は親切心とは違う。親切心は手助けをすることであり、慈悲心は愛をもつて支えることである。
無償の愛には「ありがとう」の言葉も必要ないのです。
マザーテレサの言葉に、
人は不合理、
非論理、利己的です。
気にすることなく、
人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと
言われるでしょう。
気にすることなく、
善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に、
出会うことでしょう。
気にすることなく、
やり遂げなさい。
善い行いをしても、
おそらく次の日には
忘れられるでしょう。
気にすることなく、
善い行いを続けなさい。
あなたの正直さと
誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく
正直で誠実であり続けなさい。
助けた相手から
恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう。
気にすることなく、
助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを
世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。
泥池の中で咲く蓮の花のように人間世界の中でもがきながら苦しみながら時期が来れば華が開く。
すべての人を救おうとする無常の愛を持つことの大切さ。
苦しから辛いからすぐに幸福になろうと願うのではなく、
苦しみも辛さも受け入れながら耐えることが花開くことになる。
すべては忍の一字に表されている。
慈悲心とは全く見返りを求めない心のこと。
一方的であろうと評価の対象にならなくてもただひたすら奉仕すること。
私たちはラオスの子供たちに学校を作り、文房具やダウンベスト80枚を贈ることも、
今できることの最大限を感謝として心に刻めば喜びが自然にわいてくるのである。
泥の中で花開く蓮のように誠実に生きていきたいと思います。