安心
人は孤立を避ける為に集団から逃れることが出来ない。
集団の中にいれば多少の優劣の争いはあっても、
個人的判断の責任と危険を回避できるからである。
集団思考は常識の範囲の中庸な意見を取り入れる為に、
誰でも理解が出来て判断に迷う事が無いからである。
これを「付和雷同」という。
付和雷同からは突出した能力は生れずに、
似非平和主義の楽天家ばかりが肩を並べることになる。
まるで柵に囲まれた羊の群れと同じ状況になってしまう。
労せずに水と餌を手に入れることが出来れば戦わなくてすむからである。
人は自から渋滞の波に入り込む心理がある。
他人と同じ方向に車を走らせる中で安心感が生まれるからである。
本当は違うルートを利用して目的地に向かいたいのだが、
周りの目を気にして同じ速度で同じ距離を走り行く。
勝手に抜け道を見つけて一歩でも早く目的地に着けば、
妬みと非難といじめの対象に成るからである。
それを恐れる為に、効率の良い道を見つけたとしても、
わざわざ人と同じ道を走るのである。
会社でも社会でも学校でも同じような事が起きている。
違う発想で違う行動をおこせば仲間外れになるのである。
それを恐れるからみんなと一緒に手を繋いでゴールするのだ。
人は欲望に勝てない為に本音と建前を使い分ける。
ピラミッド型の三角型のリーダーに成る為には失敗は許されない。
平社員から役員・社長となる為には波風は立ててはならないのである。
だから本音より建前で過ごして行かなければならない。
逆に、矢印型のリーダーに成る為には挑戦をしなければならない。
役職には興味なく開発や新企画に情熱を傾けるのである。
だから建前よりも本音で生きているのである。
個人の知識・能力も大切だがそれよりもセンスが必要になる。
センスは感性がなければ磨く事が出来ない。
集団に甘んじていたり、流れに逆らわなかったり、
人と同じことをしていては矢印型のリーダーにはなれないのである。
ここに哲学者森信三の言葉がある。
「九十九人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。」
孤独を恐れる必要は無い。困難から想像力が生まれるのである。
想像力の世界では決して一人では無い、そこに大自然と云う友が現れるからである。
安心は安心な場所に安心があるのではなく、
危険を冒して乗り越えた場所に安心があるのではないかと思う。