ポジション

 

今、自分が何処にいるかわかりますか。

人生というグランドでどのポジションにいるかわかりますか。
どのようなゲームをするにしても一人でゲームをすることは出来ません。
多くの仲間達と共に生きて行く為のゲームをしなければならないのです。

そして自分のポジションが分かれば、何をしなければならないかが容易に判断できるはずです。

常に自分のポジションが見えている人は、自分で自分を守る事が出来ます。
それはポジションでやるべき事を理解して集中するからです。

ポジションに集中すれば悩みも少なくストレスも溜まる事はないのです。
ポジションでミスを犯さなければ得点も得られるのです。

一流のプレイヤーは自分のポジションで集中力を途切れさせない人です。

しかし、自分のポジションが見つからない人は、
自分のポジションよりも他人のポジションばかりが気に掛かってしまいます。

自分のポジションが見えないから何をして良いのかまったく分かりません。
その為に愚痴や文句が多くなるのです。そして戦力から外されてしまうのです。

ポジションを見つける事は自分の能力を見つける事と同じです。
そこにおいて自分の能力を過大に評価しても何等意味のない事です。
誰もがスタープレイヤーになれるわけではありません。

一流のプレイヤーになれなくてもサポートする道をさがさなければなりません。

ポジションは人生における立ち位置です。

たとえ自分に与えられたグランドの環境が悪くとも、
チームメイトとのコミュニケーションが悪くとも、
周りの観客の態度が悪くとも、
自分のポジションから離れるわけには行かないのです。

しかしひとつのゲームが終われば次のグランドに移る事は可能です。
それまでは責任を持ってポジションを守り続けなければならないのです。

ポジシヨンの指名は自分で選べないのです。
どのようなポジションでも運命から与えられた背番号を付けて闘うしかないのです。

自分自身が守れる範囲が分かっていれば無理をしなくてもすみます。

しかし、自信のない時には他人のポジションがどうしても気になってしまいます。
常に他人との比較の中で自分の立ち位置を相手側に置いてしまうのです。
だからその人が動くとそれにあわせて自分も動いてしまいます。

その内に相手が動いているのか自分が動いているのかが分からなくなってくるのです。
自分が動かない分だけ周りが動いているように錯覚をしてしまうからです。
動いている自覚があれば、今のポジションの存在価値や重要性が見えてくるはずです。

「正法眼蔵隋聞記」第一現成公按の中にこの様なことが書かれています。

「人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。
目をしたしく舟につくれば、舟のすすむをしるがごとく、
心身を乱想して万法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。
もし行李をしたくしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。」

舟に乗って河を渡るとき、岸のほうを見ると、あたかも岸が動いているように見える。
今度は目を舟のほうに向けると、舟が動いているのが分かる。
これと同様に身心が乱れた状態で世の中を見ると、世間が異常で自分が正しいかのように思い誤る。
悪いのはすべて世間であって自分ではないと思う錯覚である。
自己の行動を正して本来の自己に返れば、あらゆるものは無我であるという道理が分かる。

自分のポジションの中でやるべきことを正しく行い、
他人のすることに気を取られなければ、あらゆるものはその法則に則っているのが分かる。

他人のポジションに気を取られずに、
宿命から与えられた運命のポジションをいち早く見つけることが大切です。