挫折と成功
先日中国のドラマをみて懐かしい言葉を想いだしました。
中国の哲学者の言葉です。ある地主が御者を募集していたところ、熟練した御者が応募して来ました。
地主は御者に質問をしました。「あなたは今までに一度も転んだ事は無いのですか?」。
御者は答えます「勿論です。今までに一度も転んだ事はありません」
結局、地主はその御者を雇う事はしませんでした。
それは一度も転んだことの無い御者は最高の御者では無いからです。
挫折があるからこそ慎重になる。そして注意深く判断する。無理もしない。
結果、無事に目的を達成するという事である。
挫折を経験したことの無い人は、本当の成功を手にする事は出来ないとまで言っています。
アメリカの投資家が、もっとも投資の対象に選ぶのは、挫折を経験した経営者に対してである。
というのを聞いた事が有ります。いかに挫折が人間を成長させるかが分かる話だと思います。
又、理想が高すぎるのは理想が無いのと同じだとも言っています。
大変深い意味のある言葉です。空の星を取ろうとして屋根に登り、竹竿を振り回す男と同じです。
それよりも望遠鏡を買ってきて覗きこむ方が現実的です。
大きな志は、間違った情熱で間違った方向へ進むこともあります。
私も講演でよく言うのは、現実感や実現性の無い理想や志は、何も知らない無智な人間と同格である。
言葉に酔いしれて吹聴しているだけの人間には成ってはいけないと伝えています。
その時によく使う禅の言葉があります。「看脚下・破草鞋」という言葉です。
「看脚下」は、困った時には、足元を見ろ、地に足がついているか、浮き足だった気持ちでは、
何をやっても成就はしない。暗闇を歩く時には先ずは足元を見なさいという事です。
「破草履」草履が破れるぐらい努力をしなさいという事では無くて、
草鞋が破れているのも気づかぬぐらいの無心の境地で、一心不乱に取り組みなさいという事です。
そこには全ての煩悩が取り除かれた無一物が存在するのです。
目標を掲げ過ぎて先に気持ちを置き過ぎないようにしなさい。
目の前の事、現実を見る事が、今の足元を見る事になります。
一心不乱に物事に興じている人間にこそ結果が付いてくる。
理想という池を眺めながら惰眠を貪る事はするな。
目を覚ましなさい。
私が常に言っている、理想や志、目標と目的の違い、正鵠を射る考えは、
学問として教えているのでは無く、知識として教えているのです。
知識は使って試すから知識なのです。成功や成果は生きる事に困難な人を好みます。
本物の知識は志が高すぎる人を避けるものです。