アヒルと白鳥
アヒルの群れの中で生れたひな鳥が、他のアヒルの子に似ていないと言う理由でいじめられる。
アヒルの親は七面鳥のひなかもしれないと判断した。
周りのアヒルからあまりに辛く当られることに耐えられなくなったひな鳥は家族の元から逃げ出すが、
他の群れでもやはり醜いといじめながら一冬を過ごす。
生きる事に疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行く。
しかし、いつの間にか大人になっていたひな鳥はそこで初めて、
自分はアヒルではなく美しい白鳥であったことに気付く。
デンマークの童話作家で詩人のハンス・クリスチャン・アンデルセンの作。菊池寛訳。
誰でも知っている「みにくいアヒルの子」の物語です。
全ての物語は、暗い過去から明るい未来へ、奇跡の扉が開くストーリーです。
過酷な運命に翻弄された人が幸福になる姿をみると、自分達も本当に幸福を感じる事が出来るからです。
韓国のドラマや映画はこの題材を多く取り入れています。
昔、世界中の女性のハートを虜にしたハーレークイーンロマンスとういう小説も、
同じように過酷な人生から一変して、突然目の前に王子様があらわれるストーリーでした。
私は、この様な小説やドラマの内容に、少しだけ腑に落ちない事があるのです。
それは幸福になる主人公の反対側に存在する不幸になる人の事を思うからです。
裕福な家に生まれ我儘に育った女の子が、同じ境遇の金持ちの男性を好きになる。
家柄を重んじる両親も祝福して婚約もする。誰が見ても似合いのカップルである。
しかし、そこに悲劇のヒロインである主人公が登場する。
苦労をしながらもけなげに生きるヒマワリのような女の子である。
金持ちの男性は過去に出会わなかったタイプの女性に心を奪われる。
突然、婚約を破棄して不幸な女性と一緒になる。
どうしても金持ちの子が悪者で、貧しい子を善人にする考えが、差別のような気がしてならないのである。
金持ちの家の子は傲慢で我儘である。生意気で自己主張が激しく非情である。
それは金持ちの環境で育ったからである。
貧しい家の子は、堪えることを知っているから慎み深い。
人から苛められた分だけ、他人に優しくすることも出来る。
本音を出さずに笑顔で過ごす事も知っている。それは貧しい環境で育ったからです。
金持ちが悪いのでもなく貧乏人が良いのでもない。
要するに人間性の確立が出来ていたかが大切で、現在の環境を重要視する必要は無いのである。
それ故に、アヒルは悪くて白鳥は良いという事にも繋がらない。
一瞬の恋愛で、貧しく育った女の子が金持ちの男性と結婚して、本当に幸福を掴む事が出来るのでしょうか。
「みにくいアヒルの子」は、いきなり白鳥になり本当に幸福を掴んだのでしょうか。
アヒルの母親に感謝する気持ちは無かったのでしょうか。
アヒルの兄弟との間には辛い思い出だけが残ったのでしょうか。
アヒルの池の環境はそれ程劣悪な状況だったのでしょうか。と考えてしまいます。
人生において大切の事は、差別はしてはならないが、区別をしなければならないという事である。
その区別が分かれば大きな問題は残らないのである。
金持ちは金持ちで良いし、白鳥は白鳥で良い。貧乏人は貧乏で良いし、アヒルはアヒルで良いのである。
ドラマや映画の最後には、金持ちの男性が女性の気持ち(本音か疑わしい)を察して、
よく財産を放棄するシーンが描かれます。
貧しい生活でも「真実の愛」を一生育てられると考えているからです。
観客の女性はハンカチを出して、とめどない涙を拭きます。
これが世界で一番離婚率の高い韓国での話だから、腑に落ちないのかもしれません。