芸術的挑戦

 

芸術における創造とは、子供のような好奇心と、研究家のような探究心と、
冒険家のような行動力です。

沈黙せざるを得なかったものを表象して形にするのが芸術家の努めです。

 

常に自然と対峙した中で生きる息吹を感じることが基本です。
自分の眼と耳を研ぎ澄まして、見えないものや聴こえない音を探し出すのです。
慈しみ悲しいほどの愛を感じとり、純粋な感情の発動を呼び醒ますのです。

 

他人の評価を気にせずに自己の鍛錬の中から作り出したものを信じることです。
本物の音楽やデザインは人の心を変える力を持っています。
創造は破壊です。それは模倣ではなく進化した形なのです。

 

「今日の私たちの生活は、無制限に送られてくる人工的な情報を
受け容れることに多忙で、それを咀嚼することにさえ倦んでいる。
私たちは、いま、個々の想像力が自発的に活動することが出来難いような
生活環境の中に置かれている。眼や耳は、生き生きと機能せず、
この儘、退化へ向かってしまうのではないか、という危惧すら感じる。

今日、文明先進国から、嘗てのようには、強い個性を持った芸術が
多く現れていないのは、見出したり、聴き出したりする能動的な行為を、
人間が、他の機械的手段(技術)に委ねてしまったことに由るからではないだろうか。
勿論、新しい技術は、有効に用いられれば、私たちの想像力を拡げるには違いない。
だが、だいじなのは、そこに人間の手を通すことだろう。」

(私たちの耳は聞こえているか)作曲家武満徹

 

便利に走ると感情が損なわれてしまいます。
不便の中に新しいことを見出そうとしなければ発想は生まれません。
たった一言の言葉からでも多くの詩や芸術が作られるのです。
激しい困難な時ほど輝きが増すのです。

 

安易に利便性だけを求めてしまうと、それらを購入する経済活動が先に走り、
本来の目的が忘れられてしまうことが起こります。
芸術家は作品に対して理路整然と説明する必要はないのです。
その作品の迸るエネルギーの放出があれば良いのです。

 

その為に好奇心と探求心と挑戦する行動力が必要になり、
時と場合に応じて表現形態が変わるのです。
時代が変わり競争ではなく共創が必要になります。
個人の発想が集団の方向を決めて共に創り出さなければならないのです。

 

しかし、共創の基となるのは規律や技術力では無く、
一人の芸術家のマグマのような情熱が牽引するものです。
「挑戦とは、失敗と嘲笑を恐れずに行動するものである。」

芸術家が挑戦しなければならないのは、
機械の作った娯楽に負けてしまうことではなく、
常に自然界から生まれる想像力と機能美の発見なのである。

 

芸術家は時代の要求に応えなければならないのです。
民衆が求める新しい思想と目的に合わせて、
言葉や図式や形式を提示しなければならないのです。
音楽家と同じように魂のひと筆を振り落とさなければならないのです。

 

それが挑戦と引き換えの不協和音だとしても行動しなければならないのです。