若き日に薔薇を摘め

 

子供の頃から習い事や塾通いに振り回されて
自分のやりたい事が分からなくなっている。
テレビや新聞や雑誌からの情報は別次元の事で自分達には現実感が無い。

親が言う事も教師が言う事も全て交通ルールのようで
分かり切った事を繰り返して言うだけである。

親は子供の考えを無視して進路を描き、
勝手に好き嫌いかを決めて、子供の争いごとまで処理をして満足する。

家族全員でバーチャルなテレビゲームで遊んで団欒を繕っている。
そして問題の発端はいつも「お金」から始まるのである。

子供が深夜にコンビニで物を買う。
カードで支払い、携帯電話で帰宅を連絡する。

茶髪にしてもタトーを入れても、仲間の家に寝泊りをしても、誰も文句は言わなくなった。
親はもっと過激になるのが怖くて注意が出来ない。

世の中全体が「ぬるま湯」になり、日本中が「ゆで蛙」状態になってしまっている。

見て見ぬ風潮がこの世の中を蝕んで行く。

この国の近代化は敗戦から始まった。

満足に食べる事を目指した40年代、安定した収入を得る為に奔走した50年代、
豊かさが家庭に入り込んだ60年代、政治に矛盾を感じ激しく戦った70年代、
愛と平和「ラブ&ピース」を追い求めた80年代、
怪しげな錬金術に惑わされてバブル崩壊した90年代、

アジア外交と経済の行方が見えなくなった2000年代。

そしてこの国は、世界から経済大国と評されながらも最も大切なものを失った。
それは「家族の絆」である。

社会が強く出ている時代と個人が強く出ている時代とでは心の置き所が違ってくる。

自分の立ち居地が明確にならないと常に迷いが生じる。
若者よ!何もする事が無かったら旅に出たらどうだろうか。
分別など構わずに旅に出る興奮を味わったらどうだろうか。

未知なる世界は恐怖も伴うが快感も生まれてくる。
10代後半から社会に出たばかりの10年間は、
ガムシャラに自意識を高めなければ人生の後半にバテてしまう。

吉田松陰の言葉に「奇傑非常の士に交わるに在り」というのがある。

熱く高い志を持つには普段会えないような人物と会え。
そして志気を高める為には、風光明媚な名山大川を跋渉しろ。

若い時には、静(知)で考えずに動(実践)で考えろ。
悩む時間があるのならば、先ずは行動に出ろ。

英国生物学者フランシスクリック
(DNAの螺旋状を発見してノーベル生理医学賞受賞)
の机の中に、こんなメモが残されていた。

「自分は今までにこれが起きたら困るなと思う事が数限りなくあった。
しかしそのどれもが実際には起こらなかった。」

悩みや問題を抱えて身動きが取れない時に、一人でこのメモを見て安心していたという。

偉大なる研究者でも不安を克服する、自分だけの術を知っていたのである。
誰もが悩みを抱えてそれらを乗り越えながら生きて来たのである。

22歳の時に五木寛之の本「青年は荒野をめざす」を読んで
北周りでイギリスに向った。

横浜から船に乗ってソ連に入り、シベリヤ鉄道と飛行機でモスクワ・レーニンググラードと回った。
そして船でノールウェーからオランダ経由でイギリスの港町ハリウッチに到着。

英国の入国管理局で長髪に髭と片道切符のために、
日本のテロリストと間違えられて長時間足止めされた。

苦肉の策で吹けもしない尺八を吹き、日本の古典楽器奏者だと言って
ようやく1か月だけビザが下りた。
すぐにロンドンの街に入り安アパートを探し、その後は仕事を見つける為に市内を歩き回った。

滞在期間中は何度も仕事が変わり、住むところが変わり、
友達も変わり、変化の激しい毎日であった。
語学学校の学生ビザを延長させながら、おおよそ1年7ヶ月ほど滞在した。
辛い事も山ほどあったが貴重な体験として、今では全て楽しい思い出になっている。

リュックサック一つで片道キップ、行き当たりばったりの旅ほど素晴らしいものは無い。
寝るところも食べるところも、自ら求めなければ誰も提供はしてくれない。

先ずは行動、先ずは探索、先ずは頭を下げなければ、暮らして行けない。

使い慣れない現地の言葉で、お願の連続であった。
その経験があったからこそ、怖いもの知らずと負けん気で、
憧れのCBSSONYのプロデューサーに成れたのである。

若者よ、失敗して当たり前、
挫折して当たり前、傷ついて当たり前の世界に飛び込め。

若者の特権はすぐに傷が癒やされることである。
恐れるものは何も無いのである。
真っ赤な薔薇の花(自分の夢)を鷲づかみにして、
挫折と屈辱という棘に刺されて血だらけに成れ。

他人が摘み取った果実に憧れるな。
自らの手で奪い取れ。
それが出来るのは人生の中において青春という一瞬である。

どんな迷いがあっても、
「若き日に薔薇を摘め」を忘れないことである。