花を愛でる
6万年ほど昔、ネアンデルタール人が住んでいた
シャニダール(イラク)の洞窟には
花を捧げていた跡があったという。
1951年~1965年にかけて、
R・ソレッキーらはイラク北部のシャニダール洞窟で調査をしたが、
ネアンデルタール人の化石とともに8種類の花粉が発見された。
発見された花粉が現代当地において薬草として扱われていることから、
「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があった」と考えられる。
8種類の花はどのような状態で咲いていたのか興味は尽きない。
人間が定住して農耕を始めると人間の周囲に花が多く現れるようになる、
しかし原始林には花が無く、花は人類が農耕を始めてからうまれたのである。
古代の文明において、花は豊穣の概念と共に、現実を超えた、
なにか神聖で霊的なものへの「懸け橋」として広く受け止められていた。
そして男達は山や岩や大木に畏敬の念と共に超越的な力が存在すると信じて来た。
その力で守ってもらおうとする一方では、
その驚異の力をわがものに振る舞われないようにも祈って来た。
その超自然との楳介の役目を祈り人と花に託して来たのもうかがえる。
花は呪文とともに巫女的な役割も兼ねていたにちがいない。
古代人は花が自分達の気持ちを伝えてくれるような気がしていた。
つまり山や岩や大木で感じないものを、
古代人は花に感じそれゆえに花を愛でるようになったという。
大自然の中で原子の花の可憐さに魅了されていたのだろう。
日本人においてはとくに昔から歌を詠む時に「花鳥風月」をテーマにした作品が多い。
寄物陳思は恋の感情を自然のものに例えて詠うことである。
万葉集では花を愛でた歌が1500首もあることからも、
万葉の歌人たちが花をこよなく愛したのが良く分かる。
大伴坂上朗女(おおともさかうえのいらめ)の歌にこのような一首がある。
「夏の野の 繁みに咲ける姫百合の 知らぬ恋は 苦しきものそ」せつない片想いの句である。
そして昔から人は花の色香に狂うようになった。
人はなぜ花を愛でるのかは花が人に色香を教えたからである。
花の登場が農耕以後のことであるとすれば、
人が色香に狂うようになったのは農耕以後である。
色香のような、人のこころの最も奥底にある感情の琴線に触れたからこそ、
人は花を愛でるようになったのである。
花を愛でる心の在り方は、感性なのか行為なのか、
慣行なのか、花の観賞や儀礼祭典での使用は、どれも個別の文化が規定されている。
花の色や型の美しさ、かぐわしい匂い、開花してもほどなくして散る一過性、
花が人間の感性や、美意識、情念、さらには超自然的な世界との関わり方に影響を与えてきたのである。
人間が花を媒介として観念や思いを具現化し、
人と自然、人と人、人と超自然へのコミュニケーションを実現する。
花は視覚を通して言葉以上の伝達力を備えているからである。
又、花は人物を褒め称える時にも比喩として多く使われて来た。
幕末の志士、坂本竜馬を語る時にも、
「竜馬は大きな志があり、高い人間力と行動力を併せ持っていた。
その上つねに学んで自分を磨くという心構えがあった。
強いリーダーシップを持ち、理解力や説明力にも秀でていた。
いわゆる大きな志と花を愛でるやさしい心を持っていたのである。」
実際の竜馬は決してかっこ良い男ではなかった。
どちらかというと土佐弁で話し、せかせかとした醜男であった。
しかし竜馬が立ちよる場所には必ず才色兼備の女たちがいた。
その頃の竜馬は大義のために東奔西走を繰り返し身なりもかなり酷かったという。
それが女たちには一輪の凛々しい花として写ったに違いない。
竜馬は女性から愛でられていたのである。
武士の家紋にも多くの花が取り入れられている。
代表的なのは葵・菊・桐・桜・牡丹・水仙・山吹等がある。
佐賀県鍋島藩の山本常朝が書いた「葉隠」、
「武士道と云は死ぬ事と見付たり」にあるように
死の潔さが桜の花の散り際に似ているところから、
武士はこよなく桜を愛したのだと思う。
強さだけでは解決できない、心の憂いを花に託して癒されていたのであろうか。
つまり山や岩や大木で感じないものを、
人間は花に感じそれゆえに花を愛でるようになったのである。
余談であるが、はなむけの言葉というのは「馬の鼻向け」が語源で、
旅立つ人の馬の鼻が向いている方向を言う。
送る側が飾り立てて宴を催し、生と死、衆生と仏、
残る者と送る者などの立場や次元を異にする間で
贈答が行われる。
卒業のはなむけのことば、結婚式でのはなむけのことば、
転勤でのはなむけのことば、数多く花向けの言葉が使われる。
歌舞伎での「花道」はここを渡って客が贔屓の役者に花を贈ったところから来ている。
まさしく花を贈る道なのである。
芸人や力士への心掛けも「花」という表現をする。
見物の時には造花を渡して後日現金に換えて応援をしていたのである。
芸者や遊女の料金も「花代」である。
桜が満開で、闇夜の中でもそのあたりがうっすら明るいことを「花明り」という。
また色々な花を持ちよって歌を詠み合うことを「花合わせ」ともいう。
花言葉に囲まれた日本は本当に素晴しいのである。
愚痴や文句を言わずにせめて花咲く頃には「花を愛でて」のんびりしたいものである。
(今回は原稿を書くにあたり沢山の資料を引用させて頂きました。書かれた方の名前は失礼ながら割愛しております。)