むすんでひらいて

 

今でも幼稚園ではこのお遊戯歌を歌っているのでしょうか。

「むすんで・ひらいて・てをうって・むすんで」
そしてこの意味を知っている人は何人いるのでしょうか。

世界の中でも東洋人、
特に日本人は子供を神様からの授かりものとしてとても大切にして来たのです。

英国の言語学者のチェンバレンは日本に来た時に

「この国では、金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
実に、貧乏人は存在するが、貧困なる者は存在しない。
本物の平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)、
社会の隅々まで浸透しているのである。

そして日本は「赤ん坊の天国である」と言われて来た。

実際、赤ん坊は普通とても善良なので、
日本を天国にするために、大人を助けているほどである。

彼等は揺り籠の時代から行儀が良い。
特に少年達は内気なところがなく、全くのびのびとしている。
子供達が大切に扱われているのが良く分かる。」と
言わしめるほどの印象を与えていたのである。

通りを走り回る姿、路地で遊んでいる姿、
神社やお寺の庭で遊戯をしている様を見てそう感じたのである。

小さな女の子が背中に赤ん坊をくくり付けて遊んでいる姿や、
年下の子供がころべば少し年上の子供が助けてやり、
怪我をすれば周りでみている年寄りが介抱して、
大きな声をあげて遊ぶ姿は、まるで子供の天国ようだと表現をしています。

余談であるが西洋では子供は悪い者であるという考えから始まるので、
正しい道に導く為に神の信仰に取り入れるのである。

性善説と性悪説の違いなのでしょうね。

日本の神様は西洋の一信教の神様と違って、
空にも地上にも海にも山にもいる八百万の神々の事である。

自然信仰が基本なのである。

神々と人間を結ぶ神が高御産巣日(たかみむすび)の神である。

混沌の中に結ぶのです。
結んできつくなると解(ほど)くのです。

中国から渡って来た仏教も
日本で少し形を変えて煩悩を解放する為に広まったのです。

仏(ほとけ)という文字はほどけるから来た言葉です。

ほどけるから開くのです。
神様が結んで、仏様が開いて、その後の手を打って終わるのです。

その昔日本では、神様に柏手を打つ以外にも、
挨拶の時にも互いに柏手を打っていたそうです。

たまに関西などに行くと、年配の女性が道端で挨拶と共に、
柏手を打っている人を見かけます。その名残でしょうか。(笑い)

神様も仏様も人間様もみんなで一緒に楽しくやって行きましょう。

そして最後には空に住んでいる神様や仏様に感謝を込めて、
ご挨拶しましょうというのが、この「むすんでひらいて」なのです。