箍(たが)が外れる
柔道金メダリスト内柴正人選手の事件が世間をにぎわせている。
情けなくて声も出ない人がほとんどだと思う。
正しく「驕りと増長」の典型である。
健全な肉体に健全な精神が宿るという教えは何処に消えてしまったのだろうか。
世界最高峰の金メダリストである。
世界中の柔道ファンを落胆させた責任をどう償うつもりであろうか。
彼個人の問題では無い、彼を取り巻く全ての関係者に被害が及んだのである。
どう彼が弁解をしても取り返しのつかない事である。
勿論、被害者にも被害者の家族にも、また彼の家族や親類にも、その飲み会に同席をしていた全員にも及ぶのである。
「郷土の誇り」が一瞬にして「狂土のほこり」になってしまったのである。
朝青龍が店員をなぐったことだけでも横綱の地位を失ったのである。
市川海老蔵が暴走族と喧嘩をしただけで半年以上も謹慎を言い渡されたのである。
内柴選手の行為は愚劣であり最低の行為である。
自分の教え子である。ましてや十代の学生である。
「合意の上」だったという言い訳が通用するとでも思っているのか、
酔った勢い等の言葉では取り返しの使い卑劣な行為なのである。
彼の妻子の事を考えると言葉がつまってしまう。
英雄の家族が一瞬にして犯罪者の家族になってしまったのである。
日本と云う国は、昔から性に関してはおおらかであった事は確かである。
現在、あらゆる性関係の情報が街中に溢れている。
ネットの中、携帯電話の中、チラシの中、ありとあらゆる所にアダルト関係の情報が氾濫している。
多くの子供達も眼にしてしまう。
また世界中のテレビの中で、酒と性に厳しい制約を設けていないのは、おそらく日本だけである。
私が行った外国のほとんどは厳しい規制が掛けられていた。
性を隠す必要はないのだろうが、一定の規制を掛けなければ、野放し状態で歯止めが利かなくなる。
性関係の情報に規制を掛けろと言えば、必ず言論の自由を叫ぶ馬鹿な有識者達が登場する。
現在、学校では正しい性のあり方の教育はなされているのだろうか。
日本は世界中から清潔好きで、礼儀を守り、互助精神の優れた国民という良き評価を受けているのに、
今回の件で性に対してはだらしない国民という不名誉なイメージを植え付け兼ねない。
宗教家たちは声をあげて言うだろう、「この国には宗教が確立されていないからモラルと云う紀律が無いのだ」と。
哲学者たちは言うだろう、「飽食暖衣逸居して教えざるは即ち禽獣に近し」。
正しく内柴選手は箍を外したのである。
箍は竹で編んだ輪で、樽や桶などをきちっと締め付けるものである。
内柴選手はきちっと締め付けなければならない所を閉め忘れたのである。
というよりも彼は最初から箍が外れていたのかもしれない。
今回の彼の行為も予兆があったはずである。
柔道界の先輩も、学校関係者も、教え子たちでさえも分かっていたはずである。
誰も「注意、指導」と云う、掛け声をかけなかった原因は、何処かにあるはずである。
金メダリストだから野放しにしたというのならば、言わなかった関係者も同罪ではなかろうか。