恋水
鎌倉の明月院(あじさい寺)に度々出かけた。
風情を求めたとしても男一人で行くところでは無い。
やはり着物を着た女性と一緒に出かける場所である。
紫陽花の花言葉は確か「移り気」だったような気がする。
日本の古来種「ひめあじさい」は淡い青から深い青へと色を変える。
その鮮やかな青に梅雨の雨が降り注ぎ、少しずつ青に赤みが掛って、
その赤みも薄くなる頃に紫陽花の季節は終わる。
紫陽花は学名「水の容器」という。梅雨時の長雨で土中にたまった水が、
根から吸い上げられて花に辿り着き、その学名が付いたらしい。
紫陽花の名前は、中国唐の詩人白居易が「ライラック」に付けた名前を、
平安時代の学者源順が間違って明記したらしい。
本当の名前は藍色が集まったもの「集真藍」(あづさい)が訛ってあじさいになったと言う。
雨の季節の紫陽花を眺めている時にふと「恋水」という言葉を思い出した。
「恋水」という言葉は、万葉集の中で恋をして流す涙を「恋水」と、表現したのが始まりだと聞いている。
柿本人麻呂「今のみの、行事(わざ)にはあらず、古の人そまさりて、哭(ね)にさへ泣きし」
恋煩いは今の時代だけじゃなくて、その昔にはもっと恋に悩み、大声で泣き暮らしたはずだ、という事である。
簾(すだれ)や几帳のとばりを下ろして、その中に身を置きながら、思い通りにはいかない恋の切なさに、
声を押し殺して泣きながら流す涙を「恋水」と言ったのである。
紫陽花はやはり女性なのである。恋に移り変わる女心を花弁の色で現して伝えようとしているのだ。
私達の青春時代は簡単に恋など出来ない時代であった。
学生が女性にうつつを抜かしていると軟弱な奴だと皆から笑われたのである。
しかしときめく恋心は誰にも抑える事が出来ずに、一向(ひたすら)に悶々としていた時代であった。
男には硬派と軟派がいて私は一応硬派に属していた。
硬派の男子学生は女性とは目を合しても口を利いても掟破りなのである。
帰り道で偶然好きな女の子と一緒に居る所を見られたら、次の日は鉄拳制裁が待っていた。
誰しもが恋にはあこがれて、恋をしたかった時代である。
男心を悶々とさせる不思議な生き物、女性を知る事が、学問を究めるより先であったことは確かである。
恋の手引書代りにハイネ・ゲーテ・若山牧水の詩集を読んだ。
軟派な連中から、気に入った詩を選んで、手紙にして出せば、必ず女性は落ちると聞いて、その通りにした。
次の日から好きな女の子との間に気まずい空気が流れてからかわれたのだと知った。
しかし文化系の男達は、好意を寄せている女性には、執拗に詩を送り続けたのである。
純情一途な青春である。
好きになる事に時間がかかり、手紙のやり取りに時間がかかり、
手を触れる事に時間がかかり、親しくなるまでには相当の月日が流れた。
お互いを知る為の情報交換をするには、あまりにも時間が少なかった。
それ以上に親密になる為の特別な空間が一切無かった。
今でも好きになった女性にメールで詩を送ったりするのだろうか。
今でも恋の為に出す手紙は「ラブレター」と言うのだろうか。
恋の始まりのときめきや、何度目かのデートで、やっと手を握った時の緊張感は同じだろうか。
会ったばかりなのにすぐに会いたくなり、眠れない長い夜を過ごしているのだろうか。
世界の美しさは、好きになった女性から始まっているのだと錯覚をした事があるのだろうか。
彼女の家の周りを何度も行ったり来たりして、偶然の出会いに期待をした事はあるのだろうか。
そして片思いの結果、失恋して大酒を飲み、この世の終わりだと、一晩中泣き通したことはあるのだろうか。
そんな男の涙も「恋水」と言うのだろうか。
親父達の純情一途な時代が懐かしい。
もうすぐ紫陽花の季節が終わる。
「はじめて恋をするとき、女は恋人を恋し、また恋をするとき、恋を恋する」ラ・ロシュフコオ作。
「かって胸の深い傷口から咲き出した、この赤い花と青い花とを、
わたしはきれいな花環に編んで、美しい君よ、貴方に贈りましょう、
このまことの歌をどうぞやさしくお取りなさい」ハイネ作。
「いつも変わらなくてこそ、本当の愛だ。一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ、」ゲーテ作。
「白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まらずただよふ」牧水作。
紫陽花の季節に思い出した、懐かしい詩(言葉達)である。