漱石と書




成功のための3つのキーワード
①誰も見ていない方へ目を向けろ(たとえ九十九人が向こう岸で騒いでいても)<道理>
➁自分が本当に好きか判断しろ(アイデアが浮かぶか)<愛出合う>
③これは時代が求めているのか(三方よしが成り立つか)<市場>

経営者の勉強会で必ず聞く質問があります。
「会社を大きくして何をしなければならないか?」
多くの経営者はステークホルダーの為に会社はあるのだという。
だから客を騙して、税金逃れをして、株価を上げて会社を売り払う。
大手企業も似たり寄ったりだから恐ろしい!日本の未来は暗い!
経営の基本は「国に税金を納め社会を良くする」ことが目的だ!

「プロデューサーの信念!」
1974年日本で初めての音楽プロデューサーを名乗る。
プロデューサーはアーティストの面倒見てくれる人ではなく
アーティストと一緒に夢を見てくれる人。
そして一緒に頂上へ登ってくれる人。
基本は良き音楽を作り社会を明るく照らすことだ!

忘れてならないのは吉田松陰のこの言葉
夢なきものに理想なし
理想なきものに計画なし
計画なきものに実行なし
実行なきものに成功なし
ゆえに夢なきものに成功なし
常に理想を描き情熱を絶やさない人になれ

「ちょうだいの人」
致知出版編集長藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
夏目漱石(そうせき)の書は何とも言えない気品があって、誰もが欲しがった。
漱石門下の某氏もその一人で、かねがね何度か所望(しょもう)したが、
一向に書いてくれない。

ある時、夏目邸の書斎で某氏はついに口を切った。
「前から何度もお願いしているのに、どうして僕には書いてくださらないんですか。
雑誌社の瀧田(たきた)にはあんなにお書きになっているのだから、
僕にも一枚や二枚は頂戴(ちょうだい)できそうなもんですな」

漱石は静かに言ったという。
「瀧田君は書いてくれと言うとすぐに毛氈(もうせん)を敷いて、
一所懸命に墨をすり出す。紙もちゃんと用意している。
都合が悪くていまは書けないというと、不満らしい顔も見せずに帰っていく。
そして次にやってくると、都合が良ければお願いします、
とまた墨をすり出すんだ。
これじゃいかに不精なわしでも書かずにいられないではないか。

ところが、きみはどうだ。
ただの一度も墨をすったことがあるかね。
色紙一枚持ってきたことがないじゃないか。
懐手(ふところで)をしてただ書けという。
それじゃわしが書く気にならんのも無理はなかろう」
◇『小さな人生論 5』致知出版

自分では何の努力もしないのに、「ちょうだい、ちょうだい」と、
何かをせがむ人がいる。
例えば、親が亡くなるまで、音信不通で介護もしなかったのに、
亡くなっていざ相続の話になると、
我先にやってきて権利を主張するような人。

自らの損得や利害に敏感な人、つまり自己中心的な人だ。
「ちょうだいの人」は、何かを得られなければ、ふて腐れたり、
逆恨みしたり、まわりのせいにしたりする。
人と比較し、少しでも自分に不利が生じれば文句をいう。

努力なしの、棚ぼた式の「ちょうだい」は見苦しい。
自らの損得を考える前に、人の利や得を考える人でありたい。

「豊かな国では不幸なニュースが多く、貧しい国では幸せなニュースが多い」
これが国家権力と政府に癒着したメディアのやることである。
上級政治家は自分たちの利益を隠し国民を騙して税金を吊り上げる。
そして不幸なニュースを流し続けて虚偽の幸福感を植え付ける。
国が借金だらけだからこのままでは国が破産してしまうと国民に脅しをかける。
これに逆らうと企業に国税庁の査察が頻繁に入り仕事の妨害をする。
国民は税金が上がり物価が上がって身動きがとれなくなる。
挙句の果ては戦争の映像を頻繁に流して気休めの幸福を演出する。

それでは何故「貧しい国では幸せなニュースが多いのか?」
それは国民の不満が爆発しないように楽しいニュースだけを選び電波に乗せる。
単に金持ちの暮らしを憧れるのではなく、貧しい暮らしでも人間らしく
生きることを強調して自然界の動物たちと共存共栄の暮らしを映像で流す。
その上にあらゆる宗教で国民に耐えるだけの幸福感を洗脳していく。
その為に世界で起こる現実のニュースは流さずに自国の発展のみの話題にする。

「新しい幸福感」
「ちょうだい」の時代は終わりで、「あげるよ!」の時代が来る。
自由主義とか自由経済とか自由謳歌で頑張れば誰でも金持ちになれると
信じて一億一心で経済発展が遂げられた。自分達の欲しい物は次々に買いこんだが
ローンという鎖につながれて一生奴隷の生活に入る。
そして気がつけば年を取り余生を楽しむ為に貯金していたお金が治療費と介護費に回る。
マズローの「欲求の五段階」の最後には「自己実現の欲求」と書かれている。
日本人が一番苦手な社会奉仕への貢献「あげるよ」を、次世代の子供たちへ
美術館や博物館、各種施設で残していくべきである。

「漱石と書」に書かれているように何もしないで
「ちょうだい」を待つ時代ではない。
常に人生計画を立てて必要なものと不必要なものを書きだして準備をしておき、
自分達の現実に添った欲しいものを手に入れるために過ごすべきである。
目標のターゲットに絞っただけの知識と情報を取り入れて
自分なりの「あげるよ」の道を歩めばよいのである。
人生とは苦手な道にこそ思いがけない幸福が待っているものである。

そして老人たちよ!自分たちの経験と判断を孫世代に引き継ぐべきである。
それはあくまでも強制ではなく任意で行わなければならない。
孫たちが聞きたい事柄のみに答えるべきである。
過去のテクニック論ではなく未来に向かう方法論である。
孫たちに答えは不要だ!やる気意を起こさせて背中を押すだけで良い。

良い教師とは「教えない、仕切らない、纏めない」ことを守り
個人の自立を促すだけで良い。
老人たちよ!死ぬまで社会にお返しをしていくのだ。
私は個人的にも「老人と孫」の対話集会をやり続けることを決心した。