夢を追いかけて
「I AM A DREMER」夢見る人
夢という字は夕暮れに遠くを見ることを表します。
「視線の明らかならざるなり、夕に従い、瞢(ぼう)の省聲」
子供たちに将来の夢はと聞くと憧れや好きなことを述べるのが一般的です。
大人は今どきの若者には夢がないと発言する人が大半です。
高度経済成長期と経済安定期では描く夢が違うのが当たり前です。
昔の男の子は「末は博士か大臣か?」という立身出世の憧れがありました。
女の子は「デパートガールかスチュアーデスか?」がその頃の定番でした。
今は「ユーチュバーかインフルエンサー」が圧倒的に多いそうです。
一般的に使われる夢の意味は睡眠中に現れる意識の映像を指します
夢を分解すると「 寬 かん 」+「夕」となります。
「寬」は「眉を太く大きく描いた神に仕える女性が座っている様子」、
「夕」は「夜」を表しています。 その女性が夜の睡眠中に現れると
されていました。 そこから転じて「ゆめ、ゆめみる」の意味となったようです。
私が夢で思い出すのがジョン・レノンの名曲 ‘imagine’ の中に出てくる歌詞 。
‘You May say I’m a dreamer. But I’m not the only one’
「( 平和な世界を信じる) 私の事をあなたは
夢見がちというかもしれないけれど、私は一人じゃない」
暗いニュースが続く中でも、明るい未来を信じて、夢を見ていたい。
私は一人じゃないし、みんなで夢見た世界が、きっと未来になって
行くのだと信じて。 平和は身近な行動に現れる。
今の時代にピッタリの曲であり平和を求める人たちのテーマ曲でもある。
今こそ「全ての武器を楽器に変えて」活動に参加しなければならない。
音楽は国境のない共通言語です。何もしないで待っていても平和は来ないのです。
一歩前に出て勝ち取らなければなりません。愛する人のために!
なぜ戦争は始まるのでしょうか?各国の宗教や経済から来る思惑があるからです。
なぜ戦争は終わらないのでしょうか?利権を持っている財閥が富を独り占めする
からです。
一般的に大衆は力なき弱者の集まりです。
幾ら大きな声を上げても何も変わりません。
それでも声を上げなければ平和は訪れません。
平和を夢見ることは罪ではありません。
ここに曹洞宗最澄の言葉「一灯照隅・万灯照国」があります。
小さな燈は部屋の片隅しか照らすことが出来ません。
しかし、その小さな燈を大勢の人たちが持てば国をも照らすことになる。
これは単なる夢物語ではありません。現実に叶うのです。
「夢」という意味は睡眠中の現れる映像と自分の意思を夢と捉えているの
2通りがあります。我々が通常使うのは後者の意思の現れです。
誰もやったことが無いことに挑戦すると「そんなこと夢の中の世界」だよと
馬鹿にされるのが常です。
しかし、創造の世界で夢見ることは誰にも止める権利はありません。
工業高校から外国度大学へ入ると言った時も、先生は「ありえない」
ロンドンへ音楽の勉強に行くと言った時も、同級生は「ありえない」
帰国後に一流のレコード会社CBSSONYへ入ると言った時も、家族は「ありえない」
また、同僚に一流のプロデューサーを目指すと言った時にも、「ありえない」と
言われ続けました。私は夢を見ていたのでしょうか?
ここで「夢」が物語になった作品をいくつか紹介します。
「白日夢」(はくじつむ)は、
谷崎潤一郎の戯曲。全四幕から成る。歯科の治療を受けに来た青年が
同じ患者の美しい令嬢を見るうち、麻酔と昏睡の中で
白日夢を見る物語。1926年(大正15年)、雑誌『中央公論』9月号に掲載された。
1922月(大正11年)発表の戯曲『白孤の湯』と『白日夢』を元に書いた
ヌードショーのレビュー白日夢』は、1959年(昭和34年)2月から5月まで、
谷崎のお気に入り女優・春川ますみ出演で、日劇ミュージックホールで
上演された。
「古代ローマ貴族の夢」
本作は元来、『ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建
教皇リベリウスに夢のお告げを明かす古代ローマ貴族ヨハネと妻』
(プラド美術館) と対をなしていた。
両作ともローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建にまつわる
物語を表している。古代ローマ貴族ヨハネの夢に聖母マリアが現れ
エスクイリヌスの丘(画面左側の雪に埋もれた部分) に教会を建立せよ、
そしてそこに行けば、雪の上におのずと建物の配置がわかるであろう、
と告げる。穏やかで静謐な場面に光を伴なって現れた聖母は、
円熟期のムリーリョの画風を特徴づける非常に軽く淡い筆致で描かれている。
人物の衣装はムリーリョの時代のもので、画家は絵画を古代ローマに
設定していない。
「落語芝浜の夢」
三遊亭圓朝の三題噺が原作。三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、
それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。
(3代目桂三木助は「三遊亭圓朝が作った『笹飾り』『増上寺の鐘』
『革財布』の三題噺」と噺していた)。ここから生まれた三題噺がベースとなって、
その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや
圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声がある。
現在のものとはストーリーも異なっていたという説もある。
川戸貞吉は、8代目林家正蔵からの聞き書きとして、「昔の『芝浜』は、
男が財布を拾った後、長屋の連中が財布を拾ってめでたいってんで、
みんなで歌を歌って騒ぐだけの話で、軽い話だったよ」と述べているが、
8代目正蔵が生まれる以前に口演速記された落語本では、すでに現在と
同じ人情噺になっている。少なくとも19世紀中には「芝浜」として
演じられた記録がある。
経済的に貧しい庶民は夢を見ることで喜びと自由を得ることが出来ました。
その中から芸術や音楽や歌舞伎など様々な文化が生まれてきたのです。
しかし、国を変えようとして夢見た武士たちが居たことも確かです。
地方の下級武士が徳川幕府を倒すために決起して立ち上がり
明治維新が起こり、そこから日本が大きく変わったのです。
そんな彼らに大きく影響を与えた江戸時代の儒学者吉田松陰の言葉。
「夢」なき者に「理想」なし
「理想」なき者に「計画」なし
「計画」なき者に「実行」なし
「実行」なき者に「成功」なし
ゆえに「夢なき者に成功なし」
夢を見るのが不器用なった現代の若者たちに届いてほしい言葉です。
私も夢を追いかけてこれからも生きてゆきます。