うたライブ自然
「自然」がテーマの時に伊丹谷良介と新曲の話し合いをしました。
その中で初めてライブでカヴァー曲を採用しました。
我々がこれしかないと選んだ曲がボブディランの「天国の扉」でした。
私の友人が環境問題を取り上げた一冊の本を出版したことも大きな要因です。
その本のタイトルは「どうぶつに聞いてみた」アニマルSDGsです。
人間の暮らしをよくするために自然界ではたくさんの犠牲が払われています。
その商品を製造販売している会社も購入している消費者も同罪です。
昔から善い人は天国へ悪い人は地獄へ行くとされていますが、
本当に我々現代人は天国へ行く資格を持っているのでしょうか?
西洋的な考えの天国ヘブンと東洋的な考えの涅槃(ニルバーナ)です。
偶然ですが、この歌は伊丹谷良介が高校生の時に初めて覚えた曲と、
私がロンドンの地下鉄で歌った曲もこの「天国の扉」でした。
今回は作詞家である私が日本語詞とナレーション文章を担当しました。
昔は死ねば誰でもが天国に行けるという定説がありました。
それが人類は自然界から受けてきた恩恵を忘れてしまい、
我が物顔で大地を掘り返し森林を伐採して地下の資源も使い果たしてきました。
その上に多くの動物を殺して食糧や衣服として使用して、用がなくなれば
燃やしてしまうという愚行を繰り返しているのです。
我々の快適な暮らしは多くの自然界の犠牲から成り立っています。
あらゆる犠牲に対して謝罪も感謝もなく搾取つづけているのです。
このままじゃいくら祈っても神様は天国の扉を開けてくれません。
いくらノックしても天国の扉は開かないのです。
毎回ライブ終了後のアフタートークでお客様と対話をします。
今月のテーマ曲はいかがだったでしょうか?から始まります。
伊丹谷良介のロックサロンはメッセージと歌声による対話の場です。
この日は中国の仲間たちも多数参加してくれました。
右脳と左脳を大いに刺激したことだと思います。歌声には国境がありません。
人々の心にも国境が無いのです。そして鳥たちにも国境は無いのです。
この活動を日本から中国へと広めていきたいと思います。
何故なら日本文化のルーツは中国にあるからです。「恩」は返さなければなりません。
ジエッカさん、ざやさん、ちょうくん、しゅうさん、お友達に拍手をお願いします。
日本の伝統文化と自然
日本の伝統工芸には西洋工芸にない異質性があります。
純化され切った感、突き抜けた感、浮揚した感、超自然感・・・。
理屈では説明できないなんとも言えない特殊性が宿っています。
それは数学的な世界観がベースの西洋人には「何か得体の知れないもの」
として伝わっているように思います。
実際欧州に住んでいて分かるのは、「日本」の立ち位置は、かなり特殊である
ということ。欧州人には神秘的に写っているということです。
ではどうしてそこまで違って写るのか。哲学的に分析するなら、
やはり「人・文・知」のあり方の違いではないでしょうか。
西洋知と比較して、明らかに日本知で際立っているのは、自然との「対話」の
在り方ではないでしょうか。日本の方が自然との距離が近い、逆に西洋は理性
(アカデミズム)を介在させる。日本知には体系化された座学はない。
実感ありきである。
そして工芸単体では成立せずに、生活様式の美しい在り方の追求に
捧げるためのものである。この生活様式の美しい在り方の追求したもの、
西洋的にいうなら「美学」が、茶道、華道、書道、そして武士といった
「道学」である。そしてこれらの統合したのが宗教であり、それは向こう側への
世界に繋がるための方法。いわゆる彼岸の世界、桃源郷、真美真実の宿る世界。
超自然が、この「向こう側」で西洋と日本では大きな違いが生じます。
一般的に寺院建築は、普通「反り(そり)」屋根ですね。
反りの反対は、桂離宮の屋根で有名な「起り(むくり)」屋根です。
自然の風景の中に荘厳さと風格(安定感)を創り出す建築手法です。
もともとは中国の寺院から起こった建築様式です。
古代の音楽を追求すると自然界の物で石や木を叩くから始まり、
幽玄的な音を作るために太鼓に皮を張り叩き、響板に絹糸を巻き付けて弾き、
竹に穴を開けて吹く、そこに人間の声が重なり、日本の音楽が始まったと
思われます。幽玄的な舞も取り入れた雅楽の始まりです。
ルーツは中国大陸や朝鮮半島からきた演奏スタイルです。
そして西洋科学が理論的に音色を創り出し多くの楽器を生み出してきたのです。
特に金管楽器のホルンやチューバ・フルート・トロンボーンなどです。
それは宗教的であり一部の貴族たちのための娯楽として取り入れられてきた。
しかし一部は戦いのためのマーチとして世界中の軍隊が取り入れたのである。
先祖代々自然と共に歩んできた先人たちの想いが西洋文化に侵食されて
近代化という化け物の中に取り込まれてしまったのである。
先日友人のエンジニアと話をしていて驚いたことがある。
最近の若者はレコーディングという作業を知らないというのです。
スタジオにミュージシャンが集まって譜面を見ながら一斉に音を出して
作ることは過去の行為であると思ってしまっている。
その為にスタジオミュージシャンという職業も無くなってしまった。
自宅録音で簡単にグループ演奏が作れるというからである。
他人とのコミュニケーションが無いので気が楽だというのです。
その上にお酒の飲めないロックアーティストも増えてきました。
ロック本来の姿は社会や体制に対してメッセージを送ることでした。
世間から異端児扱いされてきたロックアーティストはいなくなってきたのです。
コンピューターによって一流の音がフリーソフトで提供されているので
古い精神論から蘊蓄を垂れるプロデューサーは不要になったのである。
1987年ごろに音楽の世界にコンピューターが入り込み大幅に録音スタイルが
変わりました。人間の判断は不要になり全てメモリー任せで行われてきたのです。
しかし音楽のスタイルは変わっても人間の心までは変えることは出来ませんでした。
田舎くさい韓国のドラマや、祭事用に使われてきた中国の民族楽器が、
日本でこれだけのヒットになったのは何故でしょうか?
私は究極の素人なのかも知れません。専門家の人たちが勧めるものを
全て鵜呑みにして信じることができないのです。
自分の目と耳とで確かめなければ取り入れることはしません。
韓国で映画配給会社をつくり中国で音楽事務所を作り、そこでも
ヒット作品を生み出したのです。
人間は頭も使い、心も使い、言葉も使い、道具も使います。
自然界はもう我慢の限界です。
動物たちも生態系を壊されて人間の生活圏に近づいて来ています。
27年前から世界動物かんきょう会議というチームがあります・
「アニマルSDGs18番」動物思考によるサスティナブライフデザインを
考える時期に来ています。
私はそのチームの役員として活動を開始しました。
伊丹谷良介とともに音楽による貢献を果たすつもりです。
私の経験が活かされて世界に「We are the one」を鳴り響かせてみたいと思います。