読めない人たち




以前から私のブログ「恩学」は文章が長いと言われました。
短い文章じゃないと誰も読まないから無駄ですとも言われた。
個人のブログですからそのようなことを気にせずに書き続けています。
現在、音楽プロデューサーとして発想の捉え方を知らせる為に
文章の長短を気にせず書き続けて630篇を超えております。
稚拙な文章でも初期の頃より少しは上達したかと自画自賛しています。

本日この投稿の内容「読めない」を見て納得しました。
と言うよりは何故文書の長さを気にするか腑に落ちました
インタビューを求められた時にも同じことが言えます。
ついつい歳をとると説明が長くなります
自分の経験や書物からの引用で20分~30分は話をしています。

最近私が所属している老人と孫のスタッフ(20代前半)からリクエストがあり
SNSで「老人に一言インタビュー」という動画に出演しました。
30秒ぐらいの長さで物足りなさを感じていたのでしたが、
あっという間に多くの方々からの反応があり驚いています。

バズることが出来れば課金もされると言うことで調子に乗り
立て続けに4~6本収録しました。笑い
やってみて若者たちがユーチューバーに走るのも分かる気がします。
良し悪しの反応がすぐに出るので感覚一発勝負的な映像オンリーの
ウケばかり狙っていることです。
これでは書物に触れることも文字に無頓着になるのも仕方ない気がします。

しかしこの本を「読めない」現象は思考を鍛えることに致命傷を与えます。
本を読み考えるから想像力が生まれる、そして追求するところから
科学が発展する、それに反論するところに哲学も生まれてくる。
若者が「読まない」「読めない」はハナから議論の相手にもされないのです。

法政大学前総長、田中優子さんの警鐘。
「私なりの理解で古谷経衡さんの分析を紹介する。
驚いたのは、多くの人々が本や新聞を、スポーツ新聞を含めて
読めなくなっている、という事実だった。

漫画も読み続けることができず、
アニメシリーズも継続して見ることができない。
映画は15分で粗筋を知るか、早回しで見る。
本や新聞を読まないことは知っていたが、『読まない』のではなく
『読めない』のだとは、考えもしなかった。

この状況説明は、石丸伸二氏がなぜ東京都知事選で票を伸ばしたかの
分析で述べられたものだ。石丸伸二氏の選挙戦略とは、以下のものだった。
①都民の多くは政策を読んでもわからないので政策には言及しない。
➁長く演説を聞くことができないので15分で切り上げる。
③その代わりインターネット上のさまざまな手段で膨大に発信する。
④理解して投票することができないので、体験談で共感者を増やす。
⑤自身が具体的な議論ができないので、攻撃的なもの言いをする。
それによって、議論していないのに論破したように見え、
『勝った』と感じさせることができる。どうやら本当にカラッポなのだ。

石丸氏が尊敬している人のリストの中に上野千鶴子と櫻井よしこの
両氏が入っていることを私は不審に思っていたが、そのあり得ない両立は
『読んでいないから』成立したという。納得。
京都大学を卒業して大手銀行に就職する人も『本を読めない』
『読んでも理解できない』時代になっているのである。
確かに入学試験や就職試験は、本が読めなくても通る。
                                                                                                                                                                                                                                                    
今後も人々が本も新聞も読まず、テレビではお笑いとグルメ番組を見て、
インターネットで気に入る言葉のみを拾うとしたら、改憲だろうと
戦争だろうと政府の思うままに突き進むことができる。
それらをいち早く実現する方法を、都知事選で石丸氏は示した。
政府はむろん大歓迎だろう。

必要なことは教育内容の見直しだ。
小学校で憲法を覚えさせ、戦争の歴史と、歴代の政治政策と、投票の意味を知る。
中学校と高校では、実際に存在する日本と世界の社会問題を使って、
議論をする。そのために多くの本を読み込み、その意図を理解し、
自分の言葉で語り、書く。本は教養なんぞのためではなく、生きるために、
読むものなのである」(『週刊金曜日』2024年9月17日)

文章を受け入れる脳にならないうちに学習を続ける。
授業だと言う一言で暗記させられる。一度つまずくと追いついて行けなくなる。
家庭の事情で予習・復習もままならない環境の子供たちは
自然にスピンアウトする。
何も役に立たない勉強より仕事に直結する実技を覚えたいと専門学校へ行く。
早くから社会へ出ていく子供たちは益々読書の機会が訪れない。
成功へのチャンスが遠のくばかりである。

私が読書好きになったのは事業に失敗した60歳の時からである。
自分の会社が倒産して仕事が無くなり、自分時間が増えた時
今までの人生を振り返り反省するために手当たり次第に本を読み続けた。
ジャンルにこだわらずに乱読の極みのような読み方であった。
どの本も全て面白かった。頭の中の記憶の薄皮がはがれるように暗記できた。

現代のようにテクノロジーの世界で育ち、生成AIの恩恵にあずかり、
モバイルで世界と繋がる。手の中ですべての要件が済むので過度な努力はしなくなる。
昔大人たちが体で覚えて来た学習方法は時代遅れなのである。
社会全体が毎年デジタル時計のようにパタンと入れ変わるだけである。
更に文章をよまない時代になるとQRコードに携帯をかざすだけで、
音声で説明される。眼鏡をかけるだけであらゆる情報が音で手に入る。
本格的にウエラブル時代が到達する。

私達高齢者が最後の読書世代かもしれない。
いや昭和歌謡が流行のように突然若者世代から読書熱が起こるかもしれない。
そう期待したいのである。

最後に私の読書術をお教えします。
毎回違うジャンルの本を3~4冊同時読みします。
一つの本を1時間読むとあきてしまうからです。
それが同時読みするとあきた時点で次の本に移れるからです。
いつまで乱読が続くか分からなったので読むとすぐに感想を書きました。
それがブログ「恩学」を書くときに役立ちました。

皆様も同時読みをお試しください。