何もかも全て




いつの頃からか世の中を達観してしか見れなくなった。
自分の過去の時間と未来の時間を比べると圧倒的に過去の時間が長い。
これからは残り少ない未来への時間を大切にして生きていかなければならない。
少しでも生活の無駄を取り除いて有意義に暮らさなければならない。
だから子供の時の嫌な時間も、大人になってからの忍耐の時間も、
ライバルとの戦いも、今となっては些細なことのように思える。

自分が大切にしてきた思い出も秋の枯葉のように道路の隅に転がっている。
青々としていた青春の緑の葉も月日と共に色変わりして、
この時期から終焉を迎え小枝から地上に落ちていくだけになる。
私の人生はいつも心地の良い秋風にふらふら吹かれているだけだった。

必死になって守ってきた成功話も笑い話のひとつである。
数々のスターと写る記念写真以外何も残せないで過去の人になる。
もう過去に頑張った人みたいに持ち上げられるのは無理がある。
しかし、たとえ病気になっても生きざまのプライドだけは残していたい。

人の評価は夏の公園の噴水と同じで一瞬のやすらぎを与えても
歓喜で騒いでいる割にはすぐに消えてしまう。
今は束縛される暮らしから好き勝手な暮らしになって、
我儘に生きてきた私にも少しだけ冬の厳しさが身近に迫る。
残り僅かな命と、去っていく友人と、少なくなった金銭と、
惜しまれる声も、いつまで残るのだろうか。

人間「無一物」生まれた時も死ぬ時も何も持たない無一物なのである。
しかし無一物とは何も持たないという事ではなく、
わが物として執着すべきものはなに一つもないことをいう。
一切のものから自由自在になった心境である。
宗教家は、こぞって来世は良くなるというけれど生き証人は何処にもいない。
気休めの空手形を出すだけで保証はしてくれない。

あんなに心ときめいた初恋の人も記憶の外に消えた。
仲間と組んだバンドの写真もセピア色に染まりちぎれていく。
1人で過ごした異国の夜の開放感が懐かしい。
ハイドパークで聞いたツェペリンの「天国の階段」
いまはもう路地裏に消えてどこにも見当たらない。
アルバムの中にも静寂があるだけで笑顔は戻らない。

思い出せばNYのライブハウスで、ロンドンの街角で、
ブルックリンの地下鉄でギャングに囲まれた。
あの頃は目立つ為にわざと災難を求めていたような気がする。
危険な経験をすることによって世の中に宣戦布告していた。
綺麗ごとだけで大衆に響く文化を作れないと。

70年代から80年代にかけて高度成長の波に乗り、
仕事も順調に進んだが金は一銭も残らなかった。
スロットマシンの絵柄のように回るだけ回って明け方に消えた。
情報を得るために自己投資のためにと理由をつけて散財した。

もうすぐ何もかも全て平面の写真記録になり記憶の立体は消える。
テキーラもズブロッカも胃袋を溶かしてホテルのトイレに消えた。
メタバースの世界では寿命が無いという。
登録すれば永遠に生きていられるという。
これじゃいつまでもモダンタイムは終わらない。
杖振りおじさんはいつまでも歩き続ける。

夕焼けに見える景色も見えなくなり、握りしめる指先にも感覚がなくなり、
補聴器をつけた耳も聞こえなくなり、入れ歯だらけの口では味も消えてしまう。 
もうすぐ全てが幻になる。トリップした幻想の空間で涎を垂らす。
しかし後悔の念は微塵もなく反対に清々しい程である。

残り少ない秋の色づき、刻々と迫る冬の足音、花咲く季節の春の訪れ、
嫌いになれない解放的な夏の灼熱。日本の四季に溺れた人生である。
引いては迫る波のように作られて消えていく無常の世界。

いつかはこれらも記憶から消えてチューブに縛られるかもしれない。
肉体も精神も時間と共に必ず失うことになる。刹那の世界に入り込む。
多くの経験も、学んできた知識も、必死に繋ぎ止めてきた人間関係も、
愛する家族も、まるで終電のように止まったままになる。

願わくば!平和な社会が地球上に残っていてほしい。
殺伐とした人間社会に入り込む悪魔の囁きに翻弄しないでほしい。
民族間の争いが戦争を引き起こし、地下組織がワクチンをばら撒き、
経済マフィアが景気の上げ下げをする、些細な事件に国家で大騒ぎする現象は
ノストラダムスの予言のように人間の心に不安を植え付けるだけである。
自分たちで使い切った地球上のエネルギーも、大量に生産した食料も、
奪い合いの中で残りわずかになり過激な人殺しが始める。

最後は人間の尊厳を残したままで静かに過ごしたい。
自分で必死に守ってきた地位や名誉や財産などチリと消えた方が良い。
動物的な欲に縛られて最後を迎えるなら餓死を選びたい。

肉体と共に衰える感情も意識も川の水が流れるように穏やかに消えてほしい。
全ては失われて新しい世界が始まる。年老いた人間に必要なものは愛である。
最後は孫たちの声を聞いて手を繋いで迎えたい。こんなささやかなことも
得られない人たちが大勢いることも事実である。

負けるなよ!悪魔の囁きに負けるなよ!身体の中のウイルスのように
じわじわの入り込む悪魔の囁きに惑わされるなよ。
彼らは泣き声を喜び、笑い声を嫌うから、大声で笑うのだ。
子供達と共に笑い続ければ天国は手に入るのだ。みんなで天国の扉を叩くのだ。
天国の扉は正しき人を喜んで向かい入れてくれるから、心配する必要はない。

何もかもすべて終わりを迎えることになる。
「私」の全てを失った時、すべてがここにあったことに気づく。
頭の中に残る思い出だけが永遠に忘れることは無い。
何もかもすべて終わり亡霊が記憶を持ち出していく。

何もかもすべてと考えながら朝の珈琲を飲んでいる。
生きている喜びがここにある。