人間とゴリラ




私はプロデューサーという立場から人が大きく変わる姿を何度も目撃している。
面接の時に目を合わせてくる子は可能性を感じるが、終始俯き加減の子は
どれほど音楽的才能があっても採用しない。
スターになる子は楽屋に集団でいても馬鹿騒ぎをしないで緊張を楽しんでいる。

私は本番の時、その子だけを見るのではなくて会場全体を見て、
楽器やバンドのメンバーの中にいる、その子の存在力を眺めるのです。
絵写りが良い子はスターになるチャンスを握っているからです。

オーディションに合格して暫くしてから会うと、
激的に変化をしている子がいる。
明らかに大勢の人間から選ばれた自信にみなぎっていて、
取材やラジオやテレビにゲスト出演をして常に見られる環境になり、
人を引き付けるオーラが身に付いてきたからです。

また作品が売れ出してきてファンから追いかけられる様になって
一段と変化する子もたくさん見てきました。

80年代おニャンコクラブというアイドルグループの女の子を
スターにしてほしいとテレビ局から頼まれて、
初めてアイドルの子をプロデュースしました。
それまではロック、フォーク、ブルース、R&B、などの
音楽専門のプロデューサーであった。
その為にテレビ局から白羽の矢が放たれたのです。
音楽専門のプロデューサーがアイドルを担当したらどうなるかです。

先ずは作曲家と打ち合わせをして楽曲のイメージを話し合い
「この不思議な女の子は異国に置くのがいい」と直感が働き、
香港を舞台にした映画「慕情」の設定で行こうと決めました。
丘の上からオープンカーに乗って街へ下るシーンと
悲しい恋の物語を歌にしました。

最初の歌合せの時に私が仮歌詞を書いて歌ってもらいました。
その楽曲を完成させて制作会議で関係者に聞かせたところ、
満場一致で採用になり、予定されていた大物作詞家の歌詞は
採用されませんでした。
そしてその年の「レコード大賞作詞家大賞」に選ばれたのです。
勿論、曲も大ヒットしたのです。

大勢のスターを輩出したということで
学校や企業から講演依頼が増えました。
時には相談役として呼ばれることもあります。
最初に学校の理事長や会社の社長と面談した時に
昔からの癖で「人」を見てしまいます。
その学校やその会社に魅力を感じても責任者に魅力がなければ
成功しない気がしてなりませんから。

初対面の時に挨拶と歩き方と言葉のイントネーションで
人間性が見えるのです。会社はトップの人間性で将来が決まるのです。
私は価値観を共有出来ない人たちとは仕事をしません。

「サルとゴリラの違い」
地球環境の根源的な問題は、人間の文化の問題でもあります。
これは初代所長の日高敏隆先生がおっしゃったことです。
私は4代目で、その意志を受け継いでいます。
環境問題は文化の問題なのです。

「“対面”ができないニホンザル」
昔のものが再び人気になるのも、文化の変化によるものってことですね。
我々が衣食住の要としているものによって、環境はがらっと変わるんですね。
もう1つ言うと、ここ100年ばかり、人間は科学技術を神話のように
信奉し過ぎていた。科学技術や経済発展を優先する方向に進んできたので、
人間の体や心と環境との間にミスマッチが起こっています。
 
本来なら、環境を人間に合わせる必要があった。
人間が幸福になれる環境に、つくり変える必要があった。
ところが、逆をやってしまったんです。
技術や経済の視点で環境をデザインして、その環境に人間の体を合わせようと
したから、おかしなことになった。それをもう一度、人間の本性とは何か、
人間の体に合った環境とは何かということを考えましょうというのが、
我々の方針の1つです。

フェース・トゥ・フェースのコミュニケーションとリモートとでは、
情報量が圧倒的に違います。ゴリラ研究の視点からの、コミュニケーション
のお話が大好きなんですけど、ウィズコロナ時代のコミュニケーションに
ついては、どのように考えていらっしゃいますか。

人間は他の類人猿と違って、対面というコミュニケーションによって
この社会をつくってきました。例えば、ニホンザルは、対面ができないんです。
対面して相手の顔をじっと見つめるというのは、強いサルの特権なんです。

弱いサルは、強いサルに見つめられたら視線を避けないといけない。
要するに、“眼付(がんつ)け”。顔を見つめるのは「相手への威嚇」。
相手からは「自分への挑戦」だと見なされてしまう。これがサルの世界です。
 
しかしゴリラやチンバンジーなど、人間に近い類人猿では、
相手の顔を見つめることは威嚇にならない。
だから人間のコミュニケーションは、そこから出発したと思うんですよ。
対面するということから。
 
対面のコミュニケーションは、ただ顔を突き合わすだけじゃなく、
周囲の状況、例えば誰かが近くにいるとか、そこが川の近くであるとか、
山の中であるかとか、色々な状況が絡んでいる。
 
だから我々が言葉をしゃべるようになっても、言葉はコミュニケーションの
一部でしかなく、相手と自分の関係、その場の状況、コンテキスト(文脈)
というものにすごく左右されるわけです。
総合地球環境学研究所所長山極壽一の話より

視線と音と景色に交わる。
アナログでは当たり前の様に行われてきた人間の特性が、
デジタルになってからとても不器用になってしまいました。
例えば気になる人に好意を持って欲しくてその人の趣味などを聞き、
情報量を増やしていきます。そうすることによって会話が続き
目を合わせる機会も増えるのです。

デートに適した場所を選び、デートに誘って2人だけの会話から
好意を持っているか嫌われているか相手の声で判断したのです。
電車の中で、喫茶店で、送り届ける帰り道で、2人だけの景色を楽しむ。
いわゆる視線と音と景色を同時に味わうのです。

音楽にデジタルが入り込み音も映像もコンピューターが作り出す様になって、
プロデュースをすることに興味がなくなりました。
空気感のない中でのレコーディング、撮影も編集も処理作業で済ませる時代です。
人間の感性が必要なくなりコンピューターがプロデュースするのです。

皆様は便利な状況で人間関係が希薄になりドキドキしなくなる
社会が好きですか?私は苦手です。

だからいつでも旅に出るのです。そこにはアナログの関係性が無ければ
信頼も生まれず、最悪は危険にも見舞われます。

その内にサルやゴリラより劣る機械的な人間になることになるかもしれません。
目の前の人を見つめて声を聞いて背景の景色を楽しむのが人間ですよ。