行雲流水
他人の言葉を素直に受け取ることが出来ますか?
他人の笑顔を素直に信じることが出来ますか?
他人の親切を素直に従うことが出来ますか?
目に見える世界を全てだと思いますか?
耳に聞こえる音を全て心地よいと思いますか?
口に入れる物を全て栄養だと思いますか?
遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)
「遍界」とは、すべての世界、世の中のことです。
「不曾蔵」とは、隠していない、ありのままそこにあるという意味の言葉です。
真実を隠すものは他でもない、あなた自身の疑いという名の眼差しなのです。
真実、知りたいことはそのまま表れているものなのです。
知りたいことがどうしても見えないのだとしたら、それは自分の目が
曇っているから、心が違う方向を向いてしまっているからに他なりません。
人は疑い深い生き物です。 例えば残業を手伝おうかと言われても、
何か見返りを求めているのではないかなどと疑ってしまいます。
その疑念を捨てて、正直にありがとうと言いましょう。
疑いの気持ちは相手に伝わってしまいます。
疑いなく世界を見つめれば、ものごとの本質にたどり着くことも、
さほど難しいことではないと思います。
誰かが何かを隠そうとしていても、そこには「隠そうとしている」
という事実が見えてくるはずです。
まずは、自分の中の疑いを取り除くことから始めましょう。
疑いのフィルターを外して真実を見抜くのです。
そこに全ての解決がある。
任運自在(にんうんじざい)
自然を見ても、世の中のすべてのものは自ら運び動いていることに
気づかされます。
春になれば植物は芽吹き、夏に向かって花を咲かせる。
そこにたくさんの虫や動物たちが集まってくる。
これらはすべて自然の計らいごとです。
こうした大きな流れに任せて、人間も生きることが大切です。
私たちはつい、物事に対して損得で考えてしまいます。
これは得なのか、損なのか。
そして計算通りに運ばないところに、悩みが生まれてくる。
あるいは物事に執着してしまう。
これだけは手放したくない。これだけは絶対手に入れたい。
これもまた、思いが叶わないところに悩みが生じてくる。
つまり、人間の持つ悩みというのは、自らが生み出しているものが
多いのです。悩みには大きく分けて3つあります。
1つ目は、自分の努力で解決できる悩み。例えば仕事ができない、
家事が苦手だということ。
これらは自分の努力で解決するしかありません。
2つ目は、悩む必要のない悩み。ほしい鞄を買うお金がない。
楽しいことがない。やりたいことが見つからない。
もしこんなことに悩んでいるのなら
人生を無駄にしているようなものです。
まずはこういう悩みを取り去ること。
3つ目は、自分の力ではどうしようもない悩みです。
自分自身や家族が病気になる。災害に見舞われる。
そんな時は自然の流れに身を委ねるしかないのです。
人間にはとても及ばない見えない力。それに任せてみることも必要です。
その中で生きる勇気を失わなければ、きっといい方向に運んでくれます。
ほとんどの情報は視覚から入って来ます。
その視覚の判断は脳がするわけですが、
脳は生まれた時からの環境と育った状況の中から、
左脳で判断する論理性思考と右脳で感じる情緒性思考で
答えを出すのです。
ということは私が見ている世界とあなたが見ている
世界は違うということです。
簡単にいうと美しさを競うミスユニバースを見て、
その美しさを手放しで喜ぶ人と、解剖学的に骨を思い浮かべる人と、
美しいという文字は羊が大きいと書くということを
思い浮かべる人もいるのです。人それぞれです。
AIが論理的に判断する内容がすべて正しいとは思わないでください。
カラオケマシンが採点した結果が歌の上手な人と思わないでください。
デジタルカメラで送られてきた画像が真実なのだと思わないでください。
理性と感性のバランスの良い人は冷静に判断が出来ます。
ネット通販の写真を見て、良質か粗悪か、真実か偽物か
直観で見極めることが出来ます。
「遍界」とは、すべての世界、世の中のことです。
「不曾蔵」とは、隠していない、ありのままそこにあるという意味の言葉です。
真実を隠すものは他でもない、あなた自身の疑いという名の眼差しなのです。
真実、知りたいことはそのまま表れているものなのです。
知りたいことがどうしても見えないのだとしたら、それは自分の目が
曇っているから、心が違う方向を向いてしまっているからに他なりません。
「行雲流水(こううんりゅうすい)
水や雲のように自由に生きようという意味の禅語」
水の流れや雲の流れは誰の指示も受けていません。上から下へ、
風に流されというように悪いイメージも想像してしまう言葉ですが、
水は岩も穿ち、雲もこだわりなく姿を変えていきます。
みんな自由でいいという言葉です。
誰かに翻弄された人生や行動は自分の生き方とは言えません。
もう少しだけ、禅語に従って自分に素直になってみましょう。
眼は心の入口です。
常識の捕らわれずに素直な目で物事を見つめてください。
溢れるフェーク情報に惑わされては駄目ですよ。