未知の世界「変身」

 

ある日突然あなたが虫に「変身」していたらどうしますか。
ベッドの下にうずくまる得体のしれない毒虫です。

家族や仕事仲間から追い詰められても声をあげては成りません。

暗闇の中でじっとしているのです。
聴覚と嗅覚を研ぎ澄まして逃げ道を探すのです。
誰も助けてくれません。

どのような手引書にも、その苦しみを、その現実を、その逃げ出す方法を書いているものはありません。
自分自身の生き抜こうとする力こそが未知なる世界へと導かれるのです。

見えない光が見え始めて、聞こえない音が聞こえ始めて、微かな匂いまで気付くようになるのです。
ふとした何気ない変化こそが脱出のヒントとなるのです。

敏感になるのです。
チャンスは必ず訪れるのです。決して諦めた心から脱出方法が生れることは無いのです。
毒虫になっても楽しみはあるかもしれないのです。

1952年に第一版が発表されたフランツ・カフカの「変身」という本が話題に成っています。

関連本でも4~5冊が本屋の推薦本として店頭に並んでいました。
つい最近読みなおしたばかりなので少し驚きました。
この地味な本が何故若者に流行っているのか不思議でなりません。

ネットで調べると、若者達の間でカフカがブームになっているのは、
長引く不況と望みの仕事に付けない閉塞感から、
この本に共感を得ているだと書かれていました。

「変身」の作者カフカはオーストリア・ハンガリー出身です。
当時そこには多数のチェコ人を少数のドイツ人が支配し、カフカが受け継いだユダヤ人は
その二重構造から載然とはずされていたのです。

「変身」はハンガリーの社会状況(二重構造)とユダヤ人であったカフカの心情が反映された作品です。
カフカは半官半民の労働災害保険協会に努め日々悶々とした中で、
人間とは何か、人間の存在とは何か、人間同士で何故差別が起こるのかと苦悩していたかと思います。

その苦悩の中で愚痴が妄想を生み「変身」が生まれたのです。

現在の日本でも若者達は仕事場でも家庭でも友人関係でも自分の居場所がどんどん無くなってきています。
格差社会の中で優遇される者と不遇な者の姿がハッキリと見えています。

若者達は言葉では言い表せない焦燥感に囚われているのではないでしょうか。
自分は確かに存在しているのに居場所が見つからない、何かをしたいと思いながらもやることがないのである。

だから虫に変身をしたカフカの心境と相通ずるものがあると云うのです。
全てを放棄して薄暗い部屋の片隅で、うずくまりながら物思いにふけるのは仕方のない事かもしれない。

そして若者と同時に、この作品に反応しているのがリストラや定年に差し掛かった中高年だと言います。
午後の昼下がり、オフィス街の近くの公園のベンチで、ボーッとしている中高年のサラリーマンを見ると、
まさに虫に「変身」しているのです。

職場でも家庭でも一切発言が許されずに虫のように蠢いているだけです。

「変身」とおなじようなカフカの別作品で「城」と云うのがあります。
こちらは、虫になって居場所が無くなるのではなく、居場所を求めて村中を徘徊する作品です。

仕事を依頼された測量技師が依頼主の城に出向いたのですが、どうしても目の前の城に辿りつけない話です。

城に招かれながら、城に辿りつけない。場所があるのに存在が無い。
当時のハンガリーのチェコ人とドイツ人とユダヤ人の関係にも似ていたのではないでしょうか。

同じ場所にいながら待遇が違うという事は、
ある意味正規雇用社員と非正規雇用社員との関係にも似ている気がします。

矛盾と理不尽の世界です。

カフカの作品は問題を定義するが解決は一切ないのである。
大騒ぎしても「届かない」「伝わらない」「初めから何もない」で終わってしまうのである。

決してこの本は娯楽で読むべき本では無い。