優しさとは
辛い時に声をかけてもらうより、メールで励ましをもらうより、
隣に座ってもらうより、一人にして欲しい時もある。
相手の同情が少しでも感じてしまうと申し訳なく思うからである。
時には何もせずに突き放してもらう方が楽な時もある。
おしきせの親切や「大丈夫ですか」という言葉が大きな負担になることもあるのです。
しかしそんな時にも遠くから笑顔でいて欲しいと願うのが人の常である。
優しいという字は「人」の横に「憂い」が立っている。
「憂い」とは悲しみ、なげき、心配、わずらいとあり、心が嘆き悲しむことを
表現した言葉です。人のために心に涙ができる人。
また、自分自身が悲しみを知っている人。一人の寂しさが分かる人、
心はとても繊細で傷つきやすいことを経験している人。
そういう人が、初めて人に優しくできるのです。
真の優しさを持つ人とは、悲しみを知る強い心を持っている人のことをいう
ものです。人の痛みをしっかり受け止められる人だけが「優しい人」という
称号を得ることが出来るのです。
一人になり孤独と戦う時、部屋に閉じ篭もることは絶対に駄目です。
閉塞感の中からでは解決は見えなくなりもっと辛い状況が生まれます。
忘れようとしてもお酒も音楽も映画も役に立ちません。
逃げようとする心が一番心を弱くします。
そんな時こそ大自然に飛び込むのです。一人キャンプが流行っているのは、
そのような理由もあります。木々の緑も、鳥の囀りも、川のせせらぎの音も、
綺麗な空気も、あらゆる大自然のエネルギーが、視覚から、聴覚から、呼吸から
身体に入り込んでくるのです。
森の中には小動物も潜んでいるかもしれません。谷川には大小さまざまなお魚もいます。
野山を歩くと名も知らぬ草花にも出会うかもしれません。
そんな偶然を楽しむことにより、自分の辛い気持ちがいつしか、
消えて無くなっているのに気づきます。
「流泉為琴」(りゅうせんをきんとなす)という禅語があります。
静かな谷川を、岩や木の根を洗いながら流れる水の音は、ひっそりと静かに
清涼を深める琴の音のように、汚れがちな人の心までも洗い流し、
安らかにしてくれるという意味で、自然界の中の音は、人間の聴覚では聞き取れない
癒しの音が含まれているそうです。脳内にセロトニンがあふれ出て来るのです。
そのような癒しの音は、心まで穏やかに清らかにしてくれます。
それを耳にした時、「水」の力の偉大さを、改めて思い知らされます。
心を癒してくれる水の音、大自然の山々の緑、青々とした広大な海、爽やかな風が
運んでくれる木々の香り、五感を研ぎ澄ませると、自分の存在は自然の中のほんの
一つに過ぎず、その自然界の大きさに気づいた時、自分だけが特別ではない事を
感じます。「流泉為琴」、何とも美しい、平穏な、心休まる禅語と言えましょう。
「琴」と言えば、「對牛弾琴(たいぎゅうだんきん)」という禅語も有ります。
琴の演奏の達人が「牛に対して琴を弾いて聞かせる」という事から、
何の効果もなく無駄な事を表している言葉で「馬の耳に念仏」と同様の意味です。
禅宗には、「手元にあるものを活かしなさい」という教えがあります。
庭掃除だけでも、木の枝はご飯を炊く薪になり、葉っぱは肥やしになり、
砂や小石は集めて窪みを埋めたり、どう活かすかを考え工夫する事が、
禅の修行に繋がるのだそうです。禅の庭には、禅の教えが細部まで込められており、
その一つの例に「水琴窟」が有ります
「水琴窟(すいきんくつ)」とは、日本庭園の装飾の一つで、
手水鉢の近くの地中に作った空洞の中に水滴を落下させ、
その際に発せられる音を反響させる仕掛けです。
洞水門(とうすいもん)などとも呼ばれます。
その音色は、底部に溜まった水の深さに左右されるそうで、
水滴の落ち方や、落ちた場所にも関わるそうです。
「水琴窟」の音色は、琴の音のように美しく、静穏な日本庭園の、
景観に合うとてもきれいな音色です。
「水琴窟」は江戸時代から作られるようになり、明治時代に盛んになりましたが、
今では少なくなってしまったそうで、残念でなりません。
日本人の細やかな感性によって作られた日本文化の奥深さ、そして禅の教えに、
また改めて感慨深いものを感じます。
日本人は自然との接点により心を癒してきたのです。
人の手を借りずとも自然界の様子を見ながら辛い心を癒してきたのです。
自然界を活かす達人なのです。
その延長線上にお茶の世界やお花の世界が有ったことも確かです。
それが茶道となり華道となって先人達は極めていったのです。
禅語はその過程を一言で表しています。素晴らしいですね。
最後に注意ですが優しさを求めて嘘を言うのをやめてください。
言われた相手より、言った自分がそれ以上に傷つきます。
若い子たちが家庭に居場所が無いからといって、簡単に親がいちばん嫌うことを
してしまいます。女の子なら売春です。男の子なら犯罪です。
ここに行き当たると取り返しつかないことをしたと後悔します。
ドラマなら親が駆け寄って抱きしめるのですが現実はそうなりません。
優しさを求める嘘の反動は大きな代償を払うことになります。
世の中には優しさを素直に受け取れない人たちが多いことを知るべきです。
何故なら優しさを利用した振り込み詐欺や悪徳商法が頻繁に起こるからです。
親たちが子供に優しさを与えないと子供たちは必ず優しさを失います。
親が子に対して食事を作ることと抱きしめてやることが一番効果があります。
恩の手前にあるのが「優しさ」です。
優しさを感じる心が「恩返し」につながるのです。
優しさは教えることではありません。愛情を持って接すれば優しさは育つのです。
私は今「老人と孫」の対話集会を行っています。
孫の悩みをその場で聞いてそれぞれの老人たちがアドバイスをするのです。
老人たちは各分野で活躍をした達人の方々ばかりです。
現在は東京の青山で無料開催していますが、今後地方へも出かけていく予定です。
更に世界へ出かけていく計画もあります。
老人たちの優しさも大切な時代に入りました。
父親は子供に戦いで勝つ方法を教えます。しかし老人は戦わず平和を教えます。
奪い合えば足らず、分け合えば余る。禅語「小欲知足」の教えです。
世界が求める平和活動として日本発の「老人の知恵」を孫世代につないでいきます。