予期せぬこと
能登半島地震
令和6年1月1日午後16時03分能登半島地震が発生。
天災は忘れた頃にやって来る。ふいをつかれた地震である。
昨年まで(昨日)世界は、戦争、自然災害、食糧枯渇、物価上昇、ガソリン不足、
円安不況、等様々な災害に見舞われた。
2011年3月の東北大震災から12年ぶりの大地震である。
年が明けて今年こそは良い年になると願っていたのに龍がいきなり暴れてしまった。
石川県の人には予期せぬ出来事になってしまった。
初詣を済ませて家族が一堂に介して、
お酒を飲みながらご馳走に舌鼓を打っていた時の地震である。
津波情報も発令されて「今すぐ山か高台に逃げろ」のアナウンスが鳴り響いた。
新年の番組も地震速報一色になりお祝い気分が飛んでしまった。
被災地は先日の雪が未だ残っている状態恐怖と寒さの中で揺れに耐えなければならない。
午後11時3分にまた震度7が発生して揺れは更に恐怖を重ねる。
先ずは命の安全の確保です。助け合うことは勿論ですが、
お年寄りとか体の悪い人たちへの救助を優先してほしい。
元気な大人と若者たちが頑張ってほしいと願うばかりです。
過去の例ですと3日間耐えることができれば救助が始まると言われています。
ライフラインの復旧や支援物資の到着までが3日間です。
住民の方々は壊れていない家に集まり暖を取り、
お正月料理を持ち合えばどうにか空腹は凌げるはずです。
ホテルも旅館も開放して住民の安全と命を守ってほしいと思います。
今やれることだけを考えて下さい。
この時に思い出したのが以下の話です。
「看脚下」
脚下を看よ、足もとをしかと見よという意味であります。
佐藤一斎の『言志晩録』に「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。
只一燈を頼め」という言葉があります。
一つの灯火を掲げて暗い道を歩いているときに、
暗い夜だからといって不安になることはない、
その持っている一つの灯火を頼りに歩めという意味であります。
お釈迦さまやキリストや孔子というようすぐれた聖賢の言葉や禅の言葉などを
頼りにして暗い道を歩いてゆくのだということであります。
確かにこの通りで、混迷する世の中を生きてゆくには頼りとすべき灯火が必要です。
しかし、この灯火が消えたらどうするのかというのが、禅の問題でもあります。
中国の宋代に五祖法演という禅僧がいました。
当時衰退しかけていた臨済宗の教えを再興したので、「臨済中興の祖」と
崇められている方です。
ある時に三人の弟子と共に夜、話していて、帰りに夜道を行こうとすると、
行灯か提灯の灯が消えてしまいました。
月でも出ていなければ、提灯でも持っていないと真っ暗闇で何も見えなくて
歩けないのであります。
そんな真っ暗闇になったところで、法演は三人の弟子に、それぞれ一句を言えと
迫りました。
禅の問答というのは、いつ何時始まるのかわからないものです。
それだけに日常いつも油断なく暮らしているのであります。
先ず一番に、後に佛鑑禅師と称せられる慧勤は、「彩鳳、丹霄に舞う」と答えました。
「彩鳳」は、五色の美しい鳳凰のことです。
「丹霄」は、赤く染まった空であります。
「美しい鳳が彩雲ただよう天に舞う」様子をいいます。
目出度い言葉として、今では慶事などにも用いられています。
二番目には、後に佛眼禅師と称せられる清遠は、「鉄蛇、古路に横たう」と答えました。
鉄の蛇が、誰も通らないような古い道に横たわっているという意味です。
鉄は黒いという意味がありますので、真っ黒な蛇が人も通らぬ路に潜んでいるというのですから、
なにが潜んでいるか分からないことを言います。
そして、最後には、後に法演の仏法を受け継いで、『碧巖録』を編纂する
佛果禅師こと、圜悟克勤が、一言「脚下を看よ」と答えたのでした。
それに対して法演は、「吾が宗を滅するは、克勤のみ」と言われました。
言葉通り受け止めると、自分の教えを滅するのは、
克勤だけだということになりますが、これは禅家独特の表現であって、
自分の教えを真に継承してゆくのは、克勤だけだと、
克勤を大いに肯った言葉なのであります。
「最初の答えは、極彩色の中に極彩色のものがある。
人生は真っ暗闇で先はどうなるかわからないけれども、極彩色の人生というものが
あって、その中を極彩色の存在が歩いて行くのだから、先は見えなくとも自信を持って
一歩一歩進んでいけばいいじゃないかということです。」
「超ポジティブな考え方だ」と言っていました。
更に「それに対して仏眼のほうは超ネガティブですね。
すべてが不幸、すべてが苦しみだというわけですから。」というのです。
「仏眼は「暗闇の中にいて先が見えないのだから、不幸だということはあまり考えずに
不幸の中を生きていこうじゃないか」と言っているわけですね」というわけであります。
「圓悟克勤は「そんなきれいな言葉で飾って生きるとはどういうことなのか。
観念的なことを言わずに、ただ脚下を見ていればいいじゃないか」
と言ったわけですね」と解説してくださっていました。
頼りとしていた灯りが消えて、どうしようかという時に、
実際にあるかどうか分からないにしても、輝かしい未来を心に思い描くことは、
決して悪いことではありません。
高い理想ばかりを思っていたのでは、足下が危ういものです。
これから先には、何が起こるか分からない、これから歩む道には何が潜んでいるか
分からないと、慎重に歩を進めることも必要です。
頼りとする灯火を失ったら、まずは落ち込んでいないで、高い理想に心躍らせましょう。
すぐれた先賢の教えを学び、実在の方の成功談を読んで心を鼓舞することです。
次に、現実は何が起こるか分からない、慎重にゆかねばならないと注意します。
「先行きの見えない暗闇の中でどうするのか、希望を失わないようにすることも
大切でありましょう、最悪の状況を想定することも必要でしょう。
しかし、大事なことは足下を見ることです。自分は今どういう状況にあるのか、
しっかりと足下を見つめて、一歩一歩を歩んでゆくことが最も肝要であります。」
大災害の時には家を失い、家族を失う場合があります。先のことの不安を考える前に
今をどう過ごすかを優先してください。東北の大震災を思い出してください。
過去の教訓から役立つ方法を見つけ出して下さい。
まずは自分自身と周りの人達の命を守ることだけを考えることです。
「看却下」
今はただ足元だけを見つめて下さい。
2024年1月2日