自信を持つ
自信を持つことと過信することは違います。
私のブログでも常に挑戦が素晴らしいと書いていますが気をつけることがあります。
誰もやっていない事に自分一人で挑戦して大きな結果が出た時に落とし穴があります。
それはこうすればうまく行くのだと勝手に記憶に刷り込まれてしまう事です。
何回かこの状況で成功すると知らないうちに「過信」が育ってくるのです。
自信よりも過信が増えると真実の声が聞こえなくなってくるのです。
その対処法は「謙虚」しかありません。
謙虚になると他人の言葉がよく聞こえるようになり、見える景色も大きく広がるのです。
私がプロデューサー時代、自分一人ではヒットは出せないと思いつつも、
忙しくて他人に対する「思いやり」の時間を作れなくなってしまったのです。
いつしか裸の王様になり人の話を聞けなくなっていました。
ある時、先輩のプロデューサーから稲葉が「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が、
分かるようになれば幹部社員に推薦するのにもったいないとも言われました。
謙虚は失敗から学ぶことが多く抜き差しならぬ状況になって初めて気づきます。
常に見栄を張り湯水の如くにお金を使い、自分よりも収入の多い人たちに
ご馳走して六本木や青山・原宿と毎夜歩き回っていました。
プロデューサーとしては情報収集のために当然の行為と勘違いしていたのです。
家族も友人も過信には気づいているのですが止めることは出来ません。
成果が上がっているし、マスコミにも注目されているし、収入も増えているので
ブレーキが掛からなくなっていたのです。
「躓いて初めてわかる人の声」
もっと肩の力を抜いて一歩下がってもヒットは作れたと思います。
新しい時代の音楽を作るのだという意気込みが勘違いの原因でした。
自然界では水を生み出す雲が重要な役割を担っても偉そうにするわけではありません。
そんな時にこの禅語に出会いました。
「行雲流水」
これは禅語で、空行く雲や流れる水のように澱みなく、一定の形をもたず、
深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せることとあります。
行雲流水は決して「自由奔放に行動することがよい」と言っているわけではありません。
一般には細かいことは気にしない、ありのままを受け入れるという意味で、
使われることが多いです。
茶道では、山や岩にぶつかっても形を変えてするすると動いていく
雲や水のように、起きたことにも柔らかく対処していく心構えを示すことも
あります。
雲は山にぶつかり雨として降り注ぐと、川を流れて海にたどり着き、
水蒸気となって再び空を行く…。水の循環を魂の巡りに重ね、
禅では輪廻という解釈も。さらに、恐いものと考えがちな死や老いを自然の
流れだと受け入れて、気持ちよく年を取っていく道理を説いているという
考えもあります。
また「和光同塵」 (わこうどうじん) 慎みという美徳「老子」
個性や自己主張をアピールして、自分を立派にみせることが現代流の生き方で、
それが主流のようになっています。現代は少しでも他人よりすぐれ、
自分の長所を磨き抜きん出ることが評価されているようです。
あからさまな自己主張の時代に失われてゆくのが、謹みや謙虚さ、
奥ゆかしさなどです。派手な光を放つことはないけど、いぶし銀のような
深みのある人、ピリッと鋭い意見をさりげなく言えるような人は
少なくなっています。
こんな時代だからこそ、見直したい言葉が「和光同塵」です。
老子は「その光を和らげてその塵に同ず」と言いました。
「和光」とは自分が勉学、修行によって得た道徳性や知性、才智の輝きを和らげ、
顕(あらわ)にしないこと。
「同塵」とは塵やゴミに汚れた現実世界に同化すること。
聖人であっても、悟りを開いた禅師であっても、その学徳や才智を表面に出さず、
俗塵の中にまみれて衆生済度をするという意味です。と記されています。
禅者のようにいかないまでも、私たちにも出来ることはあります。
自分の行いを自慢せず、謙虚に奥ゆかしく、困った人や助けを必要としている
人たちにささやかでも役に立つことをする。
私はその昔プロデューサーになりたての頃、ある雑誌の編集長から言われた言葉が
あります。一流のプロデューサーになるためには、
「電車の乗客を見て物語が書けるようにならなければなりません」
働く女性を見て彼女はどのような人生を送っているか、疲れた中年の男性を見て仕事は
何か役職にはついているのか、子供連れの母親を見ていま幸せなのかと考えるのです。
私は一生懸命車内を見まわしました。その時に気付いたことがあります。
電車の中の誰もが疲れていて楽しそうではないことにです。
見た目だけでは分からない苦しみを抱えてみんな頑張っているのだという事をです。
少し肩が当たっただけで怒る人、バッグが邪魔だと怒鳴る人、高齢者に席を譲れと
文句を言う老人を見て、寂しくもあり悲しい気持ちにもなりました。
それらの風景を見ていつか心を癒せる文章が書ければ良いなと思っていました。
常に音楽プロデューサーとして見たこと、聞いたこと、感じたこと、学んだことを
書き続けて来たのです。誰かの評価を期待していたわけではありません。
そのような経験を経て「恩学」が誕生したのです。
数年前から私は出せる範囲の中で子供達への寄付を続けています。
そしていくつかの団体の理事としても所属しています。
私を必要としてくれる人がいる限り参加するようにしています。
残りの人生は恩を返す人生ですから。
色々な講演会の依頼もあります。無理がないところでお引き受け
させていただいています。感謝でしかありません。
新しいプロジェクトの参加要請も来ています。
村おこしを兼ねて若者たちを育成する養成所の話です。
きっと私の「恩学」が教科書として役に立つと思います。
死ぬまでワンサード精神を貫きとおします。
3/1は自分の為に、3/1は自然の為に、3/1は未来の子供たちの為に
「あとから来る者のために」出来ることはすべて行いたいと思います。