古き良き日本(縄文時代)
神田の古本屋で見つけた「日本事物誌」バジル・ホール・チエンバレン(英国人)
東京帝国大学日本語学教授・言語学者1873年~1905年滞在
海外の人から日本のことを質問されたことを辞書形式で書き記したのがこの本である。
私がチェンバレンを知ったのはこの言葉からである
「この国は貧乏があるが貧困は無い、金持ちはえばらず、貧乏人は卑下しない。
社会の隅々まで自由平等の精神がいきわたっている」
そこから明治時代に日本を訪れた外国人の書物を読み漁った。
イザベラ・バード「日本紀行」、ヒュースケン「日本日記」、シュリーマン「旅行記」、
ドナルドキーン「果てしなく美しい日本」、ハーバートポンティング「英国人写真家の
見た明治日本」、イワンゴンチャローフ「日本渡航記」、ジョルジュビーゴ「ビードが見た
明治ニッポン」、エメェアンベール「絵で見る幕末日本」など多数。
面白いのはビーゴもアンベールも後に紹介するモースもスケッチ形式で
当時の日本を紹介していることである。当時は未だ写真を撮るのは専門技術がなければ
写せない時代であったからだと思う
私の書棚にはモースの「日本の住まいと暮らし」スケッチブックもあります。
多くの外国人が日本を褒めたたえる記述を読んで誇らしい気分になったことは
確かである。多くの外国の方々が日本へ来る前は、日本は清の属国である、
キリスト教は禁じられている、ましてや腹切りをするような野蛮な国である、
気候は熱帯性の湿気の多い国であるとか、間違った情報に日本を訪れる外国人は
こわごわだった思うのです。
それが美しい景色と優しい日本人の姿を見て驚くのです。街はきれいに整備されて
ゴミのない清潔な道を歩くと人々のモラルと教養が備わっていることに驚くのである。
老人たちの優し顔とその傍で遊ぶ子供たちの笑顔を見るとここは天国ではないかと
褒めたたえたのです。もちろんすべてが高い評価を得ていたわけでは無いが概ね
そのように書かれている。
そしてエドワード・S・モース(米国人)について書かれたこの文章を読んで、
縄文時代に興味を持ったのも確かです。
約1万6000年もの間、環境を破壊せず戦争をしなかった縄文時代は、
世界でも類のない平和な時代でした。
争いを好まず和を尊ぶ心、人を同じ仲間としてやさしく迎え入れる心、
富を独り占めにせず誰にでも平等に分け与える心、
個性や能力の差を認めながら調和できる心、
自然に対する感謝と畏怖の心、
日本に住む人の心には縄文の心が脈々と引き継がれてきました。
今から140年前の1877(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モース
(Edward S Morse 1838-1925)がアメリカから来日しました。
モースは東京都大森貝塚を発掘調査した縄文(cord marked pottery)の名付け親です。
彼は持ち前の好奇心で庶民の生活用品のコレクションを集め、
膨大なスケッチと日記をのこしていました。
「明治・日本人の住まいと暮らし」紫紅社
モースは「日本その日その日」 (講談社学術文庫)で、次のように述べています。
『日本人は行儀がよく働き者で正直で、親切で微笑みを絶やさない。
日本人は生れながらに善徳や品性を持っている。』
『日本人の家は開放的で鍵をかけない、日本人の子供や召使(使用人)いは、
触ってならぬ物には決して手を触れぬ。
部屋に子供や召使いが何度出入りしても物がなくならない。泥棒や乞食が少ない。』
『貧しい家も清潔で品があるし、下流に属する労働者も正直、節倹、清潔だ。
最も貧しい寒村の子供は不潔だったが、野獣性も悪性も、また憔悴した絶望の表情も
なかった。子供たちは大事にされ物優しく育てられている。』
日本は子供達の天国でした。
『子供はうるさく叱られることもなく大切に育てられた。
日本の子供ほど、行儀がよくて親切な子供はいない。
また、日本人の母親ほど、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。
他のどこの国の子供達よりも多くの自由を持っていた。
世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。』
『日本人の暮らしぶりは見栄を張ることが全くない。
生活道具は少なく簡素だが洗練されている。』
『火事の災難にあっても涙を流す人も、いらだった様子の人も見ることはなく、
意地の悪い言葉も一切聞かなかった。そして持ち出した畳や襖をたて、
その中で小さな火で魚を焼いたり汁を作ったりして彼らは普段通り幸福そうに見えた。』
そしてゴミを出さないエコロジカルな都市だった江戸についてモースはこう述べています。
『日本人はある神秘的な方法で、彼等の廃棄物や屑物を、目につかぬように埋めたり
焼いたり利用したりする。
いずれにしても卵の殻、お茶のカス、その他すべての家の屑は、
綺麗にどこかへ持って行ってしまうので、どこにも見えぬ。』
『この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を
愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、
穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。
自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、
数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。』
『日本人の繊美な装飾芸術を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、
そして最大な芸術家であるかのように思われる。』
『衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、簡素で魅力に富む芸術、礼儀正しさ、
他人に対する思いやり、自然に対する愛これ等は恵まれた富裕な階級の人々ばかりでなく、
最も貧しい人々も持っている特質である。』
このように日本人の礼儀正しさや正直さを大いに賞賛したE・S・モースでしたが
日本の未来をこのように予言していました。
『この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう』
モースは西洋の近代化がもたらす弊害を見抜いていたのです。
1890(明治23年)に来日したハーン(小泉八雲)も近代化に邁進して、
しだいに近代合理主義に変わりつつある日本の姿に顔を曇らせていました。
霊も天使も悪魔も神々も今はいません。みな死に絶えました。
電気と蒸気と数学でできた世界は、がらんとして冷たく、虚ろです。
「金儲けがなされ、収入が高く、生活水準が絶えず上昇し、
必然的に無慈悲な競争が行われている所では、精神的・道徳的な弱者は、
他の地域におけるよりもっと恐ろしい極端な行動に駆りたてられる。
将来、日本の産業が発展すると共に、必然的に弱者の不幸の増加と、
その結果として起こる悪徳と犯罪の増加が危ぶまれている。」
明治に来日したハーンも今の日本の姿を予見していました。
ハーンの親しい英国人チェンバレン(東京大学教授)も、古き良き日本を慈しみモースと
同じように、日本の急激に西洋化される姿に危機感を抱いたのである。
近年、来日したウルグアイのムヒカ元大統領は「日本人は本当に幸せか」と問いかけました。
「今の日本はあまりにも西洋化してしまい。本来の歴史やルーツはどこにいってしまったのか」「西洋にある進んだ技術に対抗できないことを認め、彼らに勝る技術をつくろうと
頑張ってきたのだ。そしてそれを成し遂げてしまった。でも、そのとき日本人は魂を失ってしまったのだ」
「すごい進歩を遂げた国だとは思うけど、産業社会に振り回されていると思うよ。
本当に日本人が幸せなのかは疑問なのだ。西洋の悪いところをマネして、
日本の性質を忘れてしまったのだと思う。日本文化の根源をね」
「過去の歴史に自分のルーツを見つけ出す必要がある。
多くの障害を乗り越える強さを持っていた。それがあなたたち日本人なのです。」
縄文時代にまで過去を遡れば近代化のもとに西洋に追いつこうと物質的な豊かさを追い
求めて、お金の価値がなによりも優先されるようになって本来の自分を忘れてしまった
日本を取り戻すのです。
大きな時代のターニングポイントが訪れている、今こそ本当の自分を取り戻す
チャンスなのです。引用「よみがえる女神」ナチュラルスピリット
如何だったでしょうか?
皆様も時間のある時に「古き良き日本」を学んでみるのも良いかと思います。
歴史を学ぶことはその国の実態を知ることになります。
そしてこの恵まれた国に生まれたことに感謝の気持ちもおこります。