答えを見つける前に質問を見つける
私は質問に応えるが答えは言わない。
何故かと言うと質問者は事前に答えを持っているからである。
こうあって欲しいとこうなっては困るという答えです。
相談と質問の意味が曖昧な人が意外に多いのには驚きます。
「相談」の場合は、悩んでいることや困っていることの解決が目的です。
「質問」の場合は、わからないことや疑問に思っていることの解決が目的です。
例えば、恋愛の問題です。このような時の相談は必ず未練を残したままの別れ話です。
これを質問と称して回答を求めて来る場合にはほとほと困り果てます。
話だけを聞いていると必ず相手の悪い部分だけを聞かされるので別れ話に同意して
しまう。しかしその後に復縁すれば回答者が恨まれるのが常である。
一番困る質問は回答者を困らせるための質問です。
例えば「音楽における量子力学の効用」と言う質問は、明らかに悪意があって回答者を
困らせるための質問である。意味のない質問を投げかけて喜ぶ似非インテリに多い。
自分で責任の取れない質問ほど無駄な事はありません。
小林秀雄は、その人の人生に関係無い、自分で責任の取れない質問を下手な質問として
嫌った。ここで言う下手な質問とは、日本の右翼と左翼とか
天皇制とか北朝鮮のミサイル問題だとか・・憲法改正に賛成か反対かetc
当時も今もマスコミジャーナリズムが煽りたててくる。自分の事として引き受けられない
無責任な質問だ。逆に、よい質問とは、自分の人生に関わってくる、自分が責任を
取る事が出来る質問であり、そうであればこそ、真剣に考える事が出来る。
我々は得てして質問をしながら、自分が何を知りたいか?分かっていない事が多々ある。
それが他者との対話から浮き彫りになり、(俺が知りたいのは、本当はこれだったのか)と
思い当たった経験があるだろう。
小林秀雄もまた、そのような学生達の真摯な問いを通して自身の思索を深めたいという
意図もあったという・・小林秀雄曰く良き質問はそれ自体が答えなのです。
それによって自分自身も思索を深めたいという思いもありました。
「信じることと知ること」では、本居宣長の言う「身交ふ」(むかふ)に言及していますが、
同じことを質疑応答でも言っています。
昔は「考える」を「かむかふ」と言い、「か」は意味なく「む」は身であり、
「かふ」は「交ふ」です。よって考えるとは自分が身をもって相手と交わることを言うのです。
質問者本人がある程度の答えを調べたのちに質問をすると回答者と交流が出来るが、
質問者が興味もない、調べもしない、ことに回答は生まれないことを知るべきである。
質問の内容を調べていくうちに本などの情報や自分の経験が混ざり合って学習の興味は
尽きなくなる。例を挙げるとこのようになる。
先ほどの話から、本居宣長といえば、この和歌を思い浮かべる方も多いでしょう。
「しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花」
(大和魂とは何かと人に問われたら、こう答えよう。山奥にひっそりと咲く山桜が、
朝日に照らされて輝くのを見て、「あぁ!なんと美しいのだろう」と感動する心が
大和魂ですよ)
この歌は、宣長の61歳自画像に書かれています。この1首を詠んだだけでも、
宣長がいう「もののあはれを知る」ことの深さを感じられるのではないでしょうか。
「大和魂」というと、日本男児の力強さ・勇敢さをイメージされる方もいると
思いますが、このような自然や季節に心動かされるのも、
ひつの日本人らしいこころ(情)なのです。
そこで思い出されるのが、吉田松陰の言葉からも「大和魂」が出てきます。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
この言葉は吉田松陰が死刑になる前日に書いた一文なので、
ある意味では松陰の遺言とも言えます。
この言葉の意味は「私が処刑されて、この身体は武蔵の野辺に朽ち果てようとも
忘れないで欲しい、僕が抱き続ける日本人としての確固たる精神である”大和魂”を」
ということです。
日本の将来を案じ、日本という国に対して至誠を尽くした吉田松陰が残した名言です。
個人的な例として、私が大好きな英国には四季がありません。
全くないかと言うと一瞬春らしき秋らしきはあるのですが、印象としては冬から夏へと
一瞬にして変わったなと言う感じでした。その為の時間表示として「サマータイム」で
夏と冬の時間を1時間ずらすのです。
日本のように3ケ月ごとの等間隔で季節が移り変わる事はありません。
そして同じ様な経験を英国のパブでもしました。その頃のパブは必ず入り口が2つあり、
その意味も知らずに入って行ったらバーテンダーから大声で「お前はそのドアから入るな!」と言われました。
客の1人から一度出て違うドアから入れと言われて、
その通りにして入ることが出来ました。知らなかったのですが、
やはり詳しく調べるとこのような記述がありました。
「イギリスのパブには階級別に入り口が2つあった。ブルーカラー(肉体労働者)用と
ホワイトカラー(高級管理者)用の入り口があって、店の中も階級によって見る景色が
違っていた。」
これは昔の話。おおくのイギリス人の意見では、そのほうがきっとお互い気が楽で
居心地もよかった。ブルーカラーとホワイトカラーでは飲む物も会話の話題も
違っていたから、顔を合わせたくなかっただろうと。
だから当時の人たちは、階級によって入り口や部屋が違うというのは当然の区別と
考えていて、差別とは思わなかっただろうとイギリス人は言っていた。
結局我々は自分の思い込みで答えを見つけようとしているのです。
その現象やその言葉で全てを判断する癖が身についているのです。
周りがそういうからそれが正しいと判断したいのです。
今一度「それは何」と自分に問いかけてみてください。
質問を見つけなければ世の中の真実を見つけることは出来ません。
そして嘘も暴くことが出来ないのです。
質問を突き詰めるとすぐに答えが手に入るのです。
答えを見つける前に質問を見つけることがいかに大事かお分かりになりましたか。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とも言いますが、聞く前に必ず質問を
確かめてください。尋ねることと聞くことの意味を勘違いしないでください。