乾坤一擲


「乾坤一擲」(けんこんいってき)

サラリーマン社会だと出世に響くのでなるべく冒険はせずに無難な道を選ぶ。
しかし私のような得体の知れないものは常に「乾坤一擲」の賭けに出る。
まともな仕事の仕方ではエリートに敵わないので違う方法を考える。
私が就職したCBSSONYという会社は一流大学出身者が多く、
頭はいいのだがクリエイティブな仕事には向いていないのが大半だった。

だから私のように電話一本で飛び込んで入社した異端児は好きになれないのである。
そして彼等は独特の感覚を持っている人間(不良)には接したことがなく、
何事においても判断に窮するのである。当然私は厄介者扱いでした。
同時に、アーティストのような感覚人間には対応が出来ないのである。

背水の陣という兵法がある。自ら逃げ道を塞ぐのである。

【背水の陣】はいすいのじん(「史記」淮陰侯伝の、漢の名将韓信が趙(ちょう)の
軍と戦ったときに、わざと川を背にして陣をとり、味方に退却できないという決死の
覚悟をさせ、敵を破ったという故事から)一歩もひけないような絶体絶命の状況の中で、

全力を尽くすことのたとえ

【四面楚歌】しめんそか(楚の項羽が漢の高祖に敗れて、垓下(がいか)で包囲された
とき、夜更けに四面の漢軍が盛んに楚の歌をうたうのを聞き、楚の民がすでに漢に
降伏したと思い絶望したという、「史記」項羽本紀の故事から)敵に囲まれて孤立し、
助けがないこと。周囲の者が反対者ばかりであること

私は新規事業の担当を任された時にいつも「背水の陣」を意識して望みました。
収益の大小に関わらず敵地から手ぶらでは戻らない状況で乗り込みました。

「乾坤」は、「天地」「陰陽」「サイコロの奇数の目と偶数の目」
「一か八か」という意味。「一擲」は「サイコロを一回だけ投げて勝負にでる」という
意味になります。因みに「擲」は「なげうつ」とも読む字です。
つまり「乾坤一擲」は「天下を賭けるような大勝負に出る」ことを意味します。

由来は、中国・唐の時代の詩人韓愈の『鴻溝を過ぐ』。
休戦して互いに引いた直後に、劉邦が項羽を攻撃した時の場面に
「一擲乾坤」と書かれています。
この「一擲乾坤」も間違いではありませんが、「乾坤一擲」の方が一般的です。

「乾坤一擲の大勝負に出る」
「乾坤一擲」という言葉自体に、すでに大勝負というニュアンスは含まれていますが、
意味を重複している「乾坤一擲の大勝負」というフレーズはしばしば使われます。
ゲーム用語で「乾坤一擲の大勝負」という言葉があるので、聞いたことがある方も
いるかもしれませんね。

「天に運を任せた」意味も含まれているので、運を重視することが良しとされない時には、

使うのは控えましょう。

「どんな時も乾坤一擲の精神で、賭けに出てみよう」
人生は基本的に選択の連続です。迷った末に選択肢を選ばずに終わったり、
チャンスが来ているにも関わらず、尻込みをしてしまった経験は誰しもあるのでは
ないでしょうか。そういった時に「乾坤一擲」という精神で、挑戦してみようと
自分を奮い立たせる時にも、使える言葉です。

会社では最初から人がやりたがらない仕事を率先して手を挙げて、
自分の居場所と地位を築きました。
歌謡曲と演歌と映画音楽の全盛時代。かろうじて洋楽もありましたが、
海外とのやり取りの窓口だけの仕事でした。
(音楽制作にも立ち会えるのなら興味がありました。)

音楽業界自体に若者たちのジャンルが無かったのです。
しかし、深夜番組からシンガーソングライターなる歌手が続々と出始めた時期でした。
それでもなかなか売上数字的には苦戦を強いられていました。
初めての大ヒットは吉田拓郎の「結婚しようよ」だと記憶しています。

学生時代に関西ではフォークソングの全盛時代でした。
大阪は高石ともや、京都は加藤和彦、神戸は谷村新司、東京は岡林信康・六文銭などが
居ました。毎日放送の「ヤングタウン」では司会の笑福亭鶴瓶・明石家さんまが、
毎回、売り出し前のフォークバンドを読んで深夜放送文化を創り出したのです。
私も一時、奈良で責任者にされていた時期がありました。

74年に帰国した時に、吉田拓郎、井上陽水、チューリップ、荒井由実、井上陽水などが
活躍をしていました。CBSSONYへ入社した時に私の活躍の場はここにしかないと
率先して担当を願い出ました。
その甲斐あって、多くのニューミュージックのアーティストとも仲良くなれたのです。

歌謡曲を担当していた人たちからも、当時のマスコミからも、会社の上司からも、
お前らがやっているジャンルは、俺たちが地上波で、お前らは短波放送だと、
揶揄されました。だれもお前らのチャンネルを回さないからとまで言われたのでした。
そこで私の魂に火が付いたのです。このジャンルをメジャーにしてやる。


「乾坤一擲」という精神が、それまでの音楽業界ではいなかった、プロデューサーという
ポジションを作り上げることが出来たのです。新人アーティストとこれからの音楽を
話し合い、音作りから、ステージまで、取材も全部立ち合い、その上に日本全国を宣伝と
営業で飛び回っていたのです。地方の放送局の音楽担当者とも有線放送にもレコード店の
店長とも仲良くなり「業界マップ」をつくりあげました。
(社内外を問わずにこのマップを欲しがったのですが渡しませんでした)

それから新人を発掘するために「SDオーディション」という組織も作りました。
YAMAHAのポップコーンでは音楽スクール出身者が多く、どちらかというと正統派の
アーティストを主に輩出していました。その対極としてSDオーディションでは型破りな
アーティストを主に採用してきました。
そのオーディションからは、Xジャパン、米米クラブ、松田聖子、尾崎豊、渡辺美里、
プリンセスプリンセスなど、そうそうたるアーティストが飛び立ちました。

もう誰もニューミュージックというジャンルを笑うものはいなくなったのです。

現在のスタートアップの企業は全て「乾坤一擲」という精神で頑張っていると思います。
大切なことは時代の変化が速いので「臨機応変」ということも組み入れるべきです。
商品を発売してから徐々に進化させるのもヒットを長引かせる方法です。
中国の諺に「巧遅は拙速に如かず」という言葉があります。
完成品に時間をかけすぎて時代の要求にこたえることが出来なければ他社に負ける
ということです。乾坤一擲で気合を入れて行きましょう。