音楽とは何か、作曲家の仕事とは




フルトヴェングラーは「作品解釈について」という論文の中で、難解な表現ながら、
次のように説明していたのである。

<作曲家の状況を考えてみるならば、彼の出発点とは無であり、
いわば混沌(カオス)であり、彼の終点とは形成された作品である>

そして混沌の「形象化」は、
彼にとって即興音楽(インプロピゼイション)の行為のうちに実現する。
作品とは、いわば心的事象の似姿だといえよう。

<あらゆる偉大な芸術作品は、その性質の心技を問わず、
ある特定の表現意欲から作り出されている>

つまり音楽とは、「作曲家が、ある時点における心の状態を、“音”という素材を用いて
聞き手に伝えようとする“メッセージ”である」とフルトヴェングラーは言っているのである。

小澤征爾は坂本龍一との対談で、「音楽は瞬間の芸術」であるとも言っている。
今、出た音はすでに過去の音になっている。二度と来ない一期一会の世界だと言っている。
指揮者がおこした譜面を元に決められた旋律と音階とテンポを再現するので、
フルトヴェングラーがいうような即興音楽(インプロビゼーション)には決してならない。
しかし、指揮者は作曲家の意図するメッセージを自分なりに解釈をしてオーケストラに
再現させる。だからオーケストラの指揮をしていると毎回違うあらたな感動が起こり、
指揮者は音を操りながら作曲家の意図したメッセージを伝えているのである。

デューク・エリントンは世の中には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」
という二種類の音楽しかないのであって、ジャズであろうがクラッシック音楽
であろうが、そこのところは原理的には全く同じことだ。「素敵な音楽」を聴くことによって与えられる純粋な喜びは、ジャンルを超えたところに存在していると言っている。

あらゆる表現者は「他人に理解してもらいたい」という気持ちを持っている。
自分という「人間の存在」を認めてほしい、私が必要だと他人に思われたい。
そしてその実現が“生き甲斐”というものなのだろう。これは音楽だけでの話ではない。
画家も、アスリートも、実業家も、政治家もみな同じ思いであろう。

「私は今までプロデューサーとして何かをしたのだろうか?」
多くのヒット曲やアーティストと巡り合い、いっとき世間が私に注目をしたのだが、
プロデューサーとして私は一体何をしたのだろうか?

プロデューサーの仕事は、才能は見つけるものでなく、才能を引き出すことである。
能力のあるアーティストの隠れた才能を引き出すことに意義がある。

私のようなハウスプロデューサーは、極端なことを言えば専門的な音楽分野の知識や
経験が無くても才能を見極める力があれば良いのである。
ようするに時代が求める音楽を作れるアーティストを見つければよいのである。

路上でもライブハウスでもネット上でも、ヒット件数や評判だけを見るのではなく、
直接本人にあってライブを見て才能を見つけ出さなくてはならない。

その時に、私が必ず彼らに問う言葉がある「好きな音楽・良い音楽・売れる音楽」
私とどの音楽をやりたいかである。そしてこの答えで今後の道筋が決まる。

音楽に関わった時から将来の方向が見えている人は、
技術以上にスターの座を獲得する確率が高い。

山の頂上が見えない登山家が登頂することは難しいように、
一流のプロが目指すのは準備段階でどの山に登るかかが分かっている人間である。
ゴールからスタートを計画すれば必ずゴールへたどり着くのである。

ヒット曲は偶然から生まれるものではなく、目指す山頂が見えているから、
必然的に生まれるのである。

ハウスプロデューサーは音楽家ではない。ヒットに導く水先案内人である。
時代を読み取る力と協力者を募る才に長けていなければならない。
そして多方面の人付き合いに慣れている人が適任である。

作詞家・作曲家との付き合いから始まり、放送局や雑誌社へ有線放送から代理店へも
その上、各地のレコード店もヒットするまで通い続けなければならない。
プロデューサーは24時間365日働ける人が適任者である。
(ハウスプロデューサーとはレコード会社所属のプロデューサーです)

プロデューサーに必要な能力と言えば耳が良い方が成功する可能性があると思っている。
明確な音の聞き分けが出来る能力がなければプロデューサーには向いていない。
最終作業のトラックダウンで、楽器の配置、ボーカルのポジション、左右のバランスを
作り上げる能力である。聞き手の興奮度に合わせて微妙に変えていくのである。
これらの作業をスタジオのエンジニアに任せる人が多いのだが、
私はその作業を自分でやることによってヒットエネルギーを注ぐのである。

しかし今の時代はデジタル社会である。コンピューターで音楽を作る時代である。
誰が制作してもほぼ同じレベルまで持っていくことが可能になった。
その為に音楽&音質に個性が無くなってカラオケの音源レベルである。
このような時代に私のような音の職人は不要になったのが現実です。

アマチュアが自宅で作った音源をYou tubeで流して世界デビューも果たせる時代である。

「音楽とは何か、作曲家の仕事とは」を話し合う必要も無くなって来ている。

プロのアーティストの売り込みもメディアよりもインフルエンサーと繋がれば
ヒットを出せる可能性はある。話題性先行で実力が後に来る。
更に英語が使えればYou tubeを使い海外でもデビューできるチャンスは広がる。
K-POPのグループが海外で活躍できるのはこのシステムを上手に利用しているのである。

しかし、やはりその前に売れる楽曲を作るのはマーケティングに長けたプロデューサーと
手を組まなければならない。時代を呼び寄せる技術はアーティストには分からない。
というよりはアーティストには必要のない部分である。

最後のヒット「女子十二楽坊」から約20年が経った。
そろそろ最年長プロデューサーとしてギネスに挑戦でもしてみるか?笑い