創造力と思いやりと愛




人間関係は全て「想像力」に基づいて行われています。
何事にも想像力を働かせなければならないということです。
言葉が伝達のツールだと教えられて、言葉の持つ力を過信してしまうと、
おもわぬ誤解を生むことがあります。
なぜならなら他人(ひと)は自分の聞いた言葉を自分なりに解釈するからです。
そしてその言葉の意味に捕らわれて行動すると、発信者の意図してないことをする恐れがあります。

東北震災の時に流された家屋の手立てとして仮設住宅を大量に作り被災者を住まわせることにしました。

一見するととても大切な行為なのですが、それ以上に心のケアの方が先にしなければならなかったのです。

一瞬にして家族や思い出を奪われた人たちにとっては住むところも大切ですが、プレハブハウスに送り込んでしまった結果、たくさんの人が自殺で亡くなりました。生きるためには衣食住は大切ですが、生きる希望が無ければ頑張る理由が消えてしまうということです。世界中から多くの義援金や物資が届きましたが、

心の支援ももっと届けば良いなと感じていました。
ここでの「想像力」は人助けのために何が必要かの順番を間違わないことです。

日本の「思いやり」の精神も想像力から生まれてくるのです。
相手のことに関して自分も同じような経験をしていれば少しは理解出るのですが、

海外のお客様となればまったく未経験の白紙状態です。
その国の習慣や価値観、および宗教上の規律も視野に入れなければなりません。
少なからずとも学びと想像力は鍛えることが出来るのです。

思いやりというのは結局「想像力」なのです。想像力で相手の辛さを理解して、
想像力で相手を助けようとする。つまり、「想像力イコール思いやりイコール愛」だと思うのです。

そして、もともと想像力というのは、みんな生まれてきた時に同じように持っているのです。

そういう能力を神様からもらってきているのですよ。
だけどそれは、生きている間に、どんどん育つ人と、だんだん失われていく人が
いるのですね。で、どうやったら想像力が育つかと言えば、一番いいのは本を読むこと。とにかくどんな本でもいいから読みましょうねと言っているのです。
そうすると、想像力ができて、自分以外の人がどう思っているかとか、何かに悩んでいるらしいとか、わかってくるでしょう。そうすると、あの人は何だか嫌な顔しているけど、どこか痛いんじゃないとか、そういうことがわかるじゃないですか。
それが「思いやり」ということですよね。思いやりは愛です。
失恋した人の悲しみは、失恋しないとわからないでしょう?貧乏したことのない人には、貧乏人のつらさはわからない。飢えたことのない人は、飢えた人の悲しさなんて理解できません。

でも、簡単にわからないからこそ、もっともっと「想像力」を使って、相手を思いやろうとしないといけないのです。
「相手のつらさを全部、想像力で理解することなんてできない」と自戒しながら、それでも、ちょっとずつ、そのつらさを理解しようと思うことが大事なのです。
瀬戸内寂聴の言葉より

「小善は大悪に似たり」
「小さな善行」が、結果的にはかえって「大きな悪」に転じてしまうという意味です。
一緒になって悲しむ事は、もちろん「善」なのですが、

私にはそれが「悪」になることがあるかもしれないと思うのです。
「大善は非情に似たり」被災者にいつまでもめそめそしないで、などと言えば、
なんと非情な言いかたか、お前はそんなに冷たい人間なのかと言われるかもしれませんが、

今はその冷たいことをあえて言ってでも、生きていく気力を奮い起こさせることが、真の愛ではないかと思うのです。
稲盛和夫の言葉より

想像力の無い親切は「悪魔の笑みを持つ善行」になります。被災地の人を助ける気持ちで、家庭にある使わなくなった衣料や、賞味期限切れまじかの食料や、履き古した靴などを送る人がいます。それを運ぶお金は、それらを仕分けする人は、それらを求める人はと考えなければ、ゴミを被災地に送ることになります。

ありがた迷惑な話になります。
このように中途半端な善意はかえって被災地の人に迷惑をかけることになるのです。
相手の気持ちを考えて受け入れ先の体制も十分なのか確認をしてから行動してください。

例えば「暗黙知」という教えがあります。親方の背中を見て弟子が学ぶことを言います。
親方は言葉で教えると言葉通りに従って自由な発想の妨げになるから何も教えません。
弟子は親方の道具箱の中を見て、親方の背中の動きを見て、一連の流れを覚えていくのです。

そこには好奇心と逞しい想像力が無ければ十分に理解する事は出来ません。
親方の作った完成品を手に取り、何を伝えたかったのかをじっくりと考えるのです。
それも創造力のなせる業です。そこが理解できなければ一流の職人にはなれないのです。

「想像力イコール思いやりイコール愛」は別々ではなく関連しているのです。
思いやりと愛を感じるのは創造力があるからこそ感じることです。
勘違いをして思いやりをサービスと捉えてしまうと、愛も勘違いをして押し付けになる恐れがあります。

やさしさならなんでも受け入れてくれると思わないでください。
時にはきつくたしなめて突き放すことも「思いやり」には必要です。