夢なんて持たなくていい
夢に向かって夢中になれ!
夢の解字は夕暮れ時に目を細めて遠くを見る。
はっきりと見えない様を表している。
焦点がぼやけている状態である。
ハッキリと見えずに手に入れられないものなら追いかける必要はない。
それなら夢ではなくタスクを持て毎日何をやるか「課題」を持つ事が重要です。
与えられた仕事に優劣をつけずに完璧にこなしていく。
今ある仕事に感謝して丁寧にこなしていく。
例えそれが便所掃除でも同じである。
便所掃除を嫌がり恥ずかしいと思った時点でチャンスが逃げていく。
辛い孤独な作業ほど他人は見ているものだ。
ある時に給料が少ないと上司に言ったら「仕事がつらいか?仕事がつらいから
給料が頂けるのだ。もしお前が仕事を楽しいと思ったら会社に給料を払うのだ」
と言われた。その言葉が妙に腑に落ちてそれ以来ベースアップを望んだことは
一度もない。給料なんてベースカーゴ(作業量)でそれ以上のものではない。
(ベースカーゴとは1回の航海において、その船舶輸送収入の中心あるいは
基礎となる貨物)
豊臣秀吉が信長の草履取りをしていたとき、どういう働きぶりをしていたか。
よく知られている通り、どんなにつまらない仕事でも全気全念を集中して、
手を抜かずにやり遂げたからこそ大抜擢されたのだ。われわれ凡人は、
たとえば箒の使い方など、取るに足りないことは「いい加減にやっつけろ」
ということになりがちだ。ところが、取るに足らないと思われることさえ
できなくなって、どうして大きな仕事ができようか。これも積もり積もって
何のみのりもない一生が終わってしまうのである。
そのつまらぬことに対して、全気全念をもって立ち向かう健全純善なきの
習慣は、やがて確たる偉業を打ち立てることにつながるのである。
儒教でいう《敬》というのが、すなわち全気全念で事に従うことであり、
そして道教でいうところの《錬気(呼吸をととのえ心気を練る)》の
第一歩が全気全念を保持することなのである。
この造作もない日常のつまらぬことが、ちゃんとできるまでには
多少の修業が必要だ。しかし一度身につけたら、水泳と同じことで
水に入れば自然に体が浮かぶように、容易にできるようになるのだ。
机の前に座るだけが修行ではない。
日常一日中、何事をなすにも気を集中させるのだ。
暗闇の中で脱いだ下駄は暗闇の中でも履くことができる。
しかし全気を入れて脱がなかった下駄は明かりをつけても、
すぐにうまくは履けないものだ。
何事においても、全気で取り組んだとき、どんな具合に進行展開して、
そしてどのような結果になったか見届けることだ。そうすることによって、
刹那・刹那、秒・秒、分・分、時々刻々に当面することと、
全気で対応することができるようになる。こうなるとしめたもの、
いつの間にか《散る気》の習癖は消え失せてしまっているであろう。
今の時代はタスクをどう見つけてどう解決していくのか、
更にそのタスクを磨き次のタスクの解決方法として残していくかが重要である。
指示された仕事を無難にこなすのではなく、指示された仕事の分析をして
いち早く処理する方法を考える。デジタルに囲まれた環境の中で悩みなく
仕事をこなすということは人間性を失うことを意味する。
人間とはどんな些細なことにも全気全念で取り組む事が出来る。
無駄だと思うことを真剣に取り組むのが人間である。
杓子定規に論理的に解決の糸口を見つけようとしている人は
遊び心がなくてはならない。
このような人にはロダンの「言葉妙」を勧める。
ジュディト・クラデル筆録
奇妙な事には正確な科学に全然属しているとわれわれに見える事物までが
同じ法規に置かれています。私の友だちの造船家が私に話したには、
大甲鉄艦を建造するには、ただそのあらゆる部分を数学的に構造し
組み合わせるだけではだめで、正しい度合いにおいて数字を乱し得る
趣味の人によって加減されなければ、船がそれ程よく走らず、機械がうまく
ゆかないという事です。
してみれば決定された法規というものは存在しない。
「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。
しかしながら、芸術にある絶対の理法もあるべきです。
自然の中にそれがありまたそれは世界の護衛者ですから・・・
人間とはどんな些細なことにも全気全念で取り組む事が出来る。
無駄だと思うことを真剣に取り組むのが人間である。
杓子定規に論理的に解決の糸口を見つけようとしている人は
「遊び心」がなくてはならない。
論理的に物事を考えると答えの結論は想定できます。
しかし、どんなことにも遊びが無くては事故に繋がります。
車のハンドルは適当に「あそび」を持たせるのはその為です。
特に我々日本人は真面目過ぎて理論通りに進まないと反発が起こります。
職人や技術者なら正確な計測によるものづくりも大切かと思います。
そこにあそびを持たせるのは全てにおいてトップリーダーの役目です。
リフレーミングとういうマーケティングの手法があります。
一つの商品をあらゆる角度から見て消費者の気持ちになって作り変えることです。
老若男女、病気の人、健常者の人、外国の人の気持ちになり創造力を高めます。
形を変えたり、色を変えたり、素材を変えることで爆発的に売れることがあります。
これは人にも応用が出来ます「ジョハリの窓」というゲームです。
自分が考える自分、他人が考える自分、自分が知らない自分、可能性を見つける自分
などをゲームとして行うのです。これを心理学の教材として使うのは反対です。
いたずらにからかわれたりいじめの原因にもなるからです。
夢なんて持たなくていいは現実主義者に成れと言っているのではなく、
若い人たちが将来を考える時に2~3年で変わるデジタル社会において
必要なのは夢では無くてタスクを考えた方が良いとの発言です。