症状か原因か




不登校の児童を持つ家庭に先生が尋ねてきた。
学校に来ないと授業に遅れるぞ。テストの出来が悪くなるぞ。
友達も寂しがっているから学校に来る様にという話ばかりだった。
それを聞いていた母親が「先生、先ほどから話を聞いていると、
先生や学校の事情ばかりで子供がなぜ学校へ行かなくなった、
原因を一切聞こうとしないのは何故ですか?」
母親は「私も納得がいかないので子供を学校へ行かせません」と答えた。

学校の先生は大学で教員課程を学べば誰でも先生になれます。
しかし教師にはなれません。教え方の方法は学ぶのですが
子供は一律に同じではありません。
先生は年間のカリキュラムで決まっていることを教えるだけで、
各子供に適した教えはできません。
子供達に理解されようがされまいが一切関係ないのです。
だから教える師ではないのです。けっして教師ではないのです。
決められた内容しか教えられないのであれば、
これからはChatGPTに任せて授業を進めれば良いのです。

「この国は実利と効用に尽きる」
「心臓は何のためにありますか」と言う質問に「心臓は血液を送るポンプです」
と言えば皆さん納得されます。同じように「目玉は何のためにあるのか」
と言う質問に「ものを見るためにある」と答えます。「鼻は何のためにあるのか」
「においをかぐためにある」というと、そこで話は打ち切られます。
それ以上の質問は聞き入れてくれません。

私が小学生の時に学校の先生に「1+1は何故2になるのですか」
と聞いて叱られました。
私の質問は「誰が何のために何を必要としてこの方式を作ったのか」だったのです。
それに答えを求めたのですが、授業の邪魔になるからと廊下に立たされました。
教科書に在るべきことがすべてでそれ以外は質問を受け付けなかったのです。

「先生の為の学校」
先生にも世の中の変化や子供たちの心理状態などを学ぶ学校が必要です。
教員免除を習得して教室を受け持ったらそれで終わりではないのです。
そこから始まる学びの中に「不変の学び「倫理・道徳」」「哲学」、
「変化の学び「テクノロジー&AI」」
「世界の中の学び「地理・経済・国力」」が必要です。
日本は防衛と食料とエネルギーを他国に頼っています。
一旦戦争が始まってこれらを停止させられたら戦う間もなく敗北をします。

何故こんなに重要なことを子供達に教えないのでしょうか?
それは世界が強い日本を望まないからです。

敗戦国日本は未だ戦勝国のアメリカに頭が上がらないのです。
アメリカの51番目の属国として好きなように管理されているのです。
経済も医療も食品もあらゆるものが日本の地で試されているのです。
医薬品も農薬も食品添加物も自国では禁止して他国では使わせる。
直接的な痛みが現れない分だけ他人事で済ませているのです。
臆病な政治家や大人たちに任せるのではなく、若者たちが動き出さなければ
この先日本独自の理想的な未来はやって来ません。

「主人となるか奴隷となるか」

きこりの話
6時間で一本の大木を切り倒すきこりと、3時間ノコギリ歯を磨ぎ
1時間で大木を倒すきこりのどちらが正しいのでしょうか?
普通の主人は6時間の方を選びます。
なぜなら労働者に苛酷な作業に当たらせて思考を奪う方が使いやすいからです。

学習とは常に努力を奨励しますが、何故同時に効率も教えないのでしょうか?
一概にアメリカ流の効率ばかりを教えるのは良く無いと思いますが、
日本の職人の世界は効率よりも最初に無駄と思われることを教えます。
その無駄が初めてわかって職人としての工夫を見つけ出せるからです。
安易に楽な方を薦めるのではなく2つのことを同時に教えることが必要です。

サーカス団の象
ある時に近くに来たサーカス団のテント村へ尋ねたところ、空き地に繋がれている
象を見つけた。そこで不思議に思ったのは大きな象を結んでいるロープが
あまりにも細かったからです。そんな細いロープに繋がれた大きな象は
何故ロープを引きちぎり逃げ出さないのか?

飼育員に尋ねたところ象が未だ小さい頃に何度も逃げ出そうとしたのだが
その細いロープを引きちぎることができなかった。
その時から逃げるのを諦めてその細いロープでも抵抗しなくなったのだという。

一度の失敗で自分は能力がない力がないから無理だと、
決めつけている人は多くいます。
そこで挑戦することを諦めたらこの象と同じ道を歩くことになります。
世の中の理不尽な細いロープに縛られて逃げ出すことが出来なくなるのです。

自分が何故動けないのか症状ばかり見るのではなく原因を探るのです。
学校の先生が不登校の生徒を学校へ引き戻すのが仕事だと思っているから
何も改善されないのです。原因はどこにあるのかを探り出さなければ
何度も同じことを繰り返すことになります。

私は子供の時から挑戦ばかりしていました。
別に人より勇気があった訳ではなくそうせざる得ない家庭環境だったからです。
人と同じ考えを持ち、人と同じ道を歩けば、自分の居場所がないことが
分かっていたからです。
そして沢山の成功は沢山の失敗から生まれることも知っていたのです。

子供達に教えたいのはこの失敗の重要性です。
楽なことや調子の良いことに気を向けるのではなく、
人がそれは無理だと言われることに挑戦するのが重要なのです。

人は年齢を重ねたから老いるのではなく夢を諦めた時に老いる。
たとえ20歳の若者でも夢を諦めればそれは老人なのである。
サミュエルウルマン「青春」より

「若き日に薔薇をつめ」
赤く情熱的な薔薇(夢)を素手で掴め、
たとえ鋭い棘に刺されて血が出ても若者はすぐに傷が癒される。
棘を恐れ、挑戦をしないだけで人生を過ごすのはすでに老人である。
稲葉瀧文「恩学」より

ロックシンガー伊丹谷良介と始めたロックサロン「うた」。
毎月テーマを決めて音楽とナレーションと映像で展開する。
演奏終了後には観客と対話をする。
あえて小人数の場所で東京・京都・名古屋と展開をしているが、
今どき採算の合わないライブをやるアーティストはいないが決行している。
50歳を迎えたロックシンガーと75歳のプロデューサーの挑戦である。
熱い男たちの終わらない挑戦でもある。
音楽は常に市民活動の中にあって時代の主張がなければならない。
だから観客は決して音楽好きだけではなく一般の人たちを対象にしている。

1月「ブッダ」・2月「生命」・3月「芸術」・4月「科学」・5月「こども」
のテーマで行われた。6月は「音楽」で7月は「自然」です。
あなたには想像つくだろうか?このタイトルでライブが行われていることを?
毎回終了後の観客は周りの観客と対話を始めるのである。
まるで良質の芸術と触れ合ったあとの心地よさが言葉に変わるからです。
良質の音楽とは演者も聴衆者も垣根のない世界である。
左脳と右脳が同時に刺激されると思考は言葉に変わるのです。

音楽も教育も理屈ではない。誰もやっていないから無理だと決めつける
症状主義では何も変わらない。我々はあえて原点に挑戦しているのである。
音楽から紡ぎだされる感動は静かに伝わり市民を動かす。
そして国も変えることも出来ると信じているのです。

膠着した脳の原因を見つけることが出来れば簡単なのである。
症状で騒ぐのではなく、原因を探し出すことが大切である。
あなたも今悩んでいることの原因が見つかれば楽になります。