鑿の一撃

 

宮大工が古い伽藍の屋根裏に入った時に発見する物が有ります。
それは先人の宮大工が残したメモです。

屋根の支柱にお守りの札と共に括り付けられているか、その近くに置かれているそうです。

屋根裏に入ってくる、同じ宮大工の為に、工法詳細をメモとして残しておくのです。
「俺達はこのようなやり方で建てました」。

多くの人の目に留まる物ではないのですが、職人の落書きは後世の職人達に大いに役に立つのでしょう。
勿論、古い伽藍の中には古代洞窟で発見されるような絵も見つかると言う事です。

動物の絵や男女の交わりの絵や、生活の様式が黒ずみで書かれているのだというのです。

すごい事ですよね。何千年も前の職人の考えていた事が、落書きとして残っている訳ですから。
私の文章も、職人の落書きと同じです。ふと目にとまった時に、これは助かったなとか、笑えるなとか、
成る程と思ってもらえればうれしいですね。

徒然なるままに書き連ねた文章ですから、
解釈が間違ってたり、勝手な思い込みや、誤字や誤文で迷惑を掛けるかも知れません。

それでも一文字一文字書き連ねて行く事によって、人生の大きな岩を砕く事は出来るのかと思っている次第です。

そんな事を考えている時に、ふと禅海和尚「青の洞門」の話を思い浮かべました。

大分県にある耶馬渓を代表する絶景の一つ、中津市の競秀峰(きょうしゅうほう)。
まるで競っているかのような巨大な岩がそそり立っています。

一枚の大きな岩が断崖絶壁をなしていて、当時は人々は「鎖渡し」と呼ばれる難所を命がけで歩いていました。
足を踏み外して転落する人が後を絶たなかったといいます。

そこへたまたまやって来た禅海和尚。多くの人が命を落とす様を見てショックを受け、
何とか助けられないかと思い、トンネルを掘ることを決意しました。

機械や技術も無い時代、手で掘るしか方法はありません。

岩に向かって一人で掘り始めた時、町の人たちは最初誰も馬鹿にして手を貸そうとはしませんでした。
しかし、黙々と掘り続ける姿に心打たれた人々が手伝うようになり、徐々に作業は大掛かりなものになったのです。

そしてついに、30年の時をかけて、青の洞門は完成したのです。

「不撓不屈」の精神そのものです。
一旦志を決めたら、その目的に到達するまでは諦めずにやり続けるという事です。

他人から見れば無謀な事に思えても、掛る年月を意識するのではなく、
村民救済の強い一念があればこそ出来た偉業です。

恐れを知らぬ祈願の一念です。

禅海和尚と同じ曹洞宗の開祖、道元禅師がいうところの「愛語良く回天の力あり」と同じかと思います。
この場合は「愛語」ではなく、「愛行」でしょうか。

「無一物・無償の愛」同じ意識を持つ人が共有する状態です。

自分達の為に他人が無償で行う行為こそ感動を生みだすのです。
感動は作る物ではなく、生れ出る物なのです。

濡れた所に水は滲み込まず。乾いた所に水は滲み込むのです。

こつこつと、もくもくが、感動と共に奇跡を生みだしたのです。