武家の女性




モーパッサンの「女の一生」ではないが、
日本人女性、特に江戸時代の女性の一生に興味を持った。
その時に出会った一冊が山川菊枝著「武家の女性」であった。
男社会の武士道の話は山ほど書物としてあるが、
女性の目線で武家社会を扱った本は数少ない。

山川菊栄の「武家の女性」は、自分の母親とその家族を中心にして、
幕末・維新期の日本の武家の女性の生き方を描いたものだが、
単に女性にとどまらず、当時の武士社会の生活ぶりが生き生きと描かれている。
菊栄が生まれ育ったのは水戸藩で、水戸藩固有の事情も随分働いているとは思うが、
武士階級の置かれていた基本的な条件はさほど異なってはいないと思うので、
この本を読むと、幕末頃の武士の生活ぶりがよくわかるのではないか。

日本の人口は徳川時代を通じて、ほぼ三千万人前後で推移し、
大幅に増加することはなかった。それは生産力の限界があったからで、
その限界が人口の増加を許さなかったのである。
この限界は、農民階級の場合には耕作地の限界という形をとったが、
武士階級の場合には、禄高の限界という形をとった。

一部の例外を除いて、各藩とも禄高が増加することはなかったから、
その限られた禄高をもとに、武士団を養わねばならなかった。
水戸藩の場合には、二十数万石の禄高を以て約千人の武士とその家庭を養っていた。
そのうち百石に満たない貧しい武士が七割を占めていたということだ。
そんなわけで水戸藩においては、武家の生活は非常に苦しいものであった。
この苦しさが、水戸藩士を分裂させ、互いに血で血を洗うような
抗争に走らせた基本的な原因だと菊栄は分析している。

禄高が限られているために、少しでも収入を増やしたいと思えば、
藩の役職について役職手当をもらうほかに方法がない。
それゆえ水戸藩の武士たちは、この役職を求めて互いに争い、
それが高じて血で血を洗うような抗争に発展したと言うのである。

水戸藩に限らず、女性の力が日本の国力を底辺で支えた、と菊栄は思って
いるようだ。なかでも貧しい武家の女性たちが果たした役割は大きい。

そのことは、「日本の教育界に大きな貢献をした明治初期の女教員の
ほとんど全部が、田舎の貧乏士族の娘だったこと、また最初の紡績女工の
仕事を進んで引き受けた義勇労働者もそれらの娘たちだったこと」に現れている。
その一方で、没落した旗本の娘の中には、芸娼妓や妾奉公に出たものが
多かったと菊栄は言っている。

そうした女性たちを教育したのは、家庭での「しつけ」だったと言って、
菊栄は武家社会における家庭教育の重要性を強調している。
その教育の要諦は、女は己を空しくして人に仕えるという姿勢を
叩き込むことだった。そんなわけで女の子は男の子に比べて粗末に扱われた。
そうすることで忍耐心を養わせようとしたわけである。

女が粗末に扱われたという点では、結婚後も大きな変わりはなかった。
徳川時代には離婚率が非常に高かったが、離婚の理由には男の側の
勝手によるところが多かった。それにからめて、菊栄は「女大学」のなかの
離婚の原因を論じた部分(七去論)とそれに対する福沢諭吉の批判を
取り上げているが、それを読むと、夫人の権利がいかにないがしろにされて
いたかがわかるというわけである。

ともあれ、妻が一方的に離縁されるケースは維新後には大幅に減った。
それは新しい婚姻法の効果だと言って、菊栄は妻の地位が在来よりはるかに
安定したことを喜ばしいこととして評価している。
菊栄は言う、「封建時代の家族制度は、一面ではどういう時代にも必要な
勤労、節度、忍耐、規律への服従というような美徳を養い、
それを根強い伝統として発達させたと同時に他の一面では、
家の名で、今日から見て不合理な親権の濫用や、妻の地位の不安定によって、
かえって家族生活そのものを危うくし、子女の幸福を破壊する暗黒面をも
伴ったことは明白で、この点で、明治以来の社会の進歩は、日本の女性のため、
かつ国民全体のために祝福されなければなりません」

社会の進歩は、女性の地位の向上に加えて、武士を含めて、
人々の生活が楽になったことにもあらわれている。
徳川時代には、みな日々の生活に苦しみ、国全体として停滞していた。
それは人口が増えなかったことに現れている。
しかし明治時代になると、個々人の生活は楽になり、
また国全体も豊かになっていった。人口の増加はその最大のしるしである。
こういう面については、菊栄は素直に評価している。
武家の女性より
私が特筆する部分は「子年のお騒ぎ」の部分である。
幕府に対して謀反の罪を問われて切腹を命じられ家は断絶しました。
しかしひとしお痛ましいのはおもだつ人々の家族でした。
武田耕雲は二人の大きい息子と一緒に斬罪となりましたが、
年の行かぬ子供や孫、妻も嫁も合わせて男八人女三人、一家十一人が
この事件の犠牲になりました。

死罪が決定しているのに関わらず牢獄内で子供達に「論語」を学ばす母、
それを見て牢番が「どうせ死んでいく子に、そんなことをしても無駄だろう」
というと、この子たちの内に一人ぐらいは赦されて外に出た時に
学問が無ければ困るからと言い返した。

筵(むしろ)にくるまれて首を切られる場面では母親に先を譲り、
自分の切られている姿を見せるのは偲びないと子供心に気を使う。
何度読んでも母と子の処刑の部分は言葉が失う壮絶なものである。
日本人の残忍性を見てしまった恐ろしさが記憶に残る。
しかしこれは真実の物語である。

武家の女性の覚悟のすさまじさと美しさに感動を覚える。
戦後このような女性の姿が消えてしまったことに憂いを感じる。
現代のような自由平等は大いに賛成ですが
規律のない自由は「だらしなさ」に繋がります。
凛とした女性の覚悟も忘れないようにしてください。