九つの労とは




知労=知識を得ようとする苦労
心労=幸せにしてやれない心の苦労
体労=体に病を抱えている苦労
経労=お金に纏わる苦労
生労=生きる辛さがわかる苦労
病労=病気と戦う苦労
老労=孤独が怖くなる苦労
死労=周りの親しい人が亡くなる苦労
苦労=苦労を知り運命を知る苦労

人生というものは、山登りのようなものである。
高く登れば高く登るほど、視界が広がっていくのは楽しい。
しかし、その喜びを得るためには、額に汗して登る努力をしなければ
ならないのだ。苦労を惜しむ人の登った山は低い。そのような処では、
山の下の自動車の音や、犬の鳴き声まで聞こえて、平地にいるのと
少しも変わらないだろう。もちろん視界も狭くて憂鬱である。

苦労して登っても、涼しい風の吹く頂上に坐ってみれば、
到りつくまでの苦労などどこかへ吹っ飛んでしまうであろう。

大臣になった人も、学者になった人も、また著名な芸術家も、
一流の芸能人も、苦労せずにその場に登りついた人は一人もいないであろう。
成功の陰には並々ならぬ苦労と努力が隠れているはずである。
しかもどの人の場合も、頂上に着けば過去の苦労など
すっかり忘れているように見えるのは清々しい。

今日の禅語。

【十年歸不得 忘却來時道】
(じゅうねんかえることをえざれば らいじのみちをぼうきゃくす)

長年帰らなければ、帰る道さえも忘れてしまう。
辛いことや悲しいことも過ぎてしまえば覚えていない。
様々な意味合いで説かれているこの言葉。
「苦労を忘れる」とか、「過去を乗り越える」とか
「帰る場所を探す必要もない」など。
禅の言葉は、自由に自分なりに腑に落としていくことができるのも
嬉しいです

辛かったことも、過ぎてしまえばどうってことない。
過去をしっかり乗り越えてきた人たちは、おそらく辛かった経験を
してきたような雰囲気は見せないのだろう。乗り越えて、次につなげる。
乗り越えたから、他の人の役に立てる。
その循環で、世の中は成り立っているんだろうなと思う言葉です。

《鶴飛千尺雪龍起一潭氷》
(つるはとぶせんじゃくのゆき、りゅうはたついったんのこおり)

「苦労は買ってでもすることではないような気がする」と
伝えていますが、苦労を知らない人生が素晴らしいかどうかは、
また別問題。苦労を苦労と思わない人もいるだろうし、
その辺を分析していくのはキリがない。ただ、
「苦労をしている(してきた)のが偉い」のではなくて、
「頑張って乗り越えたから今がある」と思える人生は
素晴らしいものだと思います。

十人十色の課題があり、乗り越え方も人それぞれ。
試行錯誤しながら、自分の成長を自分で喜ぶ。
誰も勝手にパラダイスに連れて行ってはくれません。
自分の眼で見て肌で感じ、自分の足で進んでいくしかないのです。

どんな経験が良いのか悪いのかも問題ではありません。
自分の人生は自分にしかできない。
自分の人生をいかに悔いなく生きるのかは、自分次第なのですね。

親に反対されたから。
配偶者が嫌がるから。
子どもが小さいから。

と、よくある責任放棄も、「だからしない」にせずに、
「だからどうしよ?」に変換すると良いですよ。
「だからしない」という選択も、私は良いのではないかと思います。
「しなくてはいけない」ことなんて何もないですし、
ただ、本当にやりたいことに出会った時は、
「自分の人生」なのですから遠慮なく実行して下さい。

「奉仕をやりたいけど、子どもがまだ小さいから」というのであれば、
「奉仕をやりたいけど、子どもがまだ小さいからどうしようかな?」
という感じにしたらどうでしょうか。

そうすると、「やらない」のではなく、「できる方法を考える」
ように脳が動いていきます。

「今はこれくらいならできるかも」という考え方が身についてくると、
あまり他人の意見とかも気にならなくなります。
他人の意見が気にならなくなるということは、
自分の人生を誰かの責任にしなくても良くなるという事。
かなり生きるのが楽しくなりますよ。

しかし「労多くして益少なし」にならにように注意してください。

最後に「柳に雪折れ無し」です。
柳は風に対しても、雪に対しても常に柔軟だから折れることはないのだ。
大雪でもどんな強風でも耐え忍んでいる。
柔軟な心と強い意志を持って柳のような人生を生きていきましょう。

苦労した分、挫折に折れにくい人生になりますよ。