無思考・無関心




何も考えない、何も求めない、たまには人間を離れて人に還ろう。
人間は意識の動物、人は無意識の動物、魂の赴くままに行動しよう。
昨日は昨日、明日は明日、全ての存在を否定して、今を生きる。

何故、人間は、誰しも身体は洗っても心を洗おうとしないのか。
生きることが精一杯で外見を良くして中身を洗うことを忘れてしまっている。
頭の中は常に上位を目指し、財産を増やし、快楽に溺れ、欲望に捕らわれている。 

煩悩まみれになって外見は幸福でも内面は地獄のことが多いのです。

我々は安っぽい知識(常識)に支配されて権力者の操り人形になっている。
学校で嫌というほど社会に従うことを教育されてしまっているからです。
経済不況だから右手をあげて、戦争が始まりそうだから左手をあげて、
AI時代になるから両足を挙げてと、思うがままに振り回されている。

健康な老人まで安心のために朝からサプリメントを大量に服用する。
老人達は歩けば健康に良いからと寒風雨吹き荒ぶ中徘徊している。
意識は健康の事ばかりなのでクリニック通いが日課となる。
製薬会社や医者から脅されてありもしない病名を言われて更に病院通いをする。
「減るのは貯金残高、増えるのは診察券」笑い事ではない。

自分が「自分という存在」に自信が無いから世の中頼りになって騙される。
言いたいことを言って、好きな場所へ行って、食べたいものを食べて、
数着のお気に入りの服があり、お芝居や音楽会へ行ければそれで十分満足である。
それがフランス流の生き方である。彼らはいつもセラヴィー「これが人生さ」という。

たまには芸術作品に触れ、哲学的な話をして、綺麗な川のそばを歩ければ良い。
老人は経済的な心配も、健康の心配も、孤独の心配も、合わせて3Kあるが、
最後まで人を好きになり、オシャレして、わがままに暮らしても良いのでは
無いか。わがままこそ老人に与える最高の福祉である。

誰しもが思考に縛られるから悩みに纏わりつかれて身動きができなくなる。
個人の欲求を満たすために酒やギャンブルやモバイル中毒に溺れる。
そこに答えがないのにいっときの快楽が救いの神だと勘違いをしている。
目的もなく「生きるために生きる」のは結構辛いことである。

「思い邪無し」(おもい、よしまなし)と読みます。
『論語』にある言葉です。

「思い邪無しというのは、道徳思想を説いている論語のことばです。
これが禅の世界で使われると、思いというのは人間のいろいろな想念、
邪(よしま)とは分別の心を表わします。

つまり人間の想念の中に分別の心がなくなったことを表わしています。
それが「大悟徹底」の心境です。

道徳的にいわれる善とか悪とかの悪を思わないということでは決してありません。
仏教的な意味で、それこそ善いことも悪いことも全部超えてしまったところを、
思い邪無しということばで表現していますが、そこまで徹底しないと、禅でいう
心の本当の姿を自覚することはできません。」

思いそのものは生きている限り消えてなくなることはありません。
そこに分別の心がはたらくのがよくないというのであります。
もっとも、分別もなくしては生きていけませんので、禅では一度「無分別」を
体験して、その上で、自在に分別をはたらかせてゆくことを説くのであります。
邪(よしま)な心というと、仏教ではなんといっても「煩悩」を思います。
円覚寺 官長横田南陵「今日の言葉」より

お金があればお金がある暮らしをして、お金が無くなればお金がない暮らしをして、
悩みながらあるがままの暮らしをしていけば良い。今あるもので満足すれば良い。
そのような考えに至るのは心の洗濯を忘れないことです。

そろそろ人間を解放して人に戻ることをしなければ、
短い人生の中で個人の存在がないままで消えていくことになる。
無思考・無関心の学びを取り入れるべきである。

縄文時代は、昼間は人の時間、夜は神(妖怪)の時間とされていた。
人間が光を作り出してから夜遊び(悪行)が横行するようになった。
文明は破壊をもたらし、文化は創造を作る。文化とは人間の知恵である。

「高齢者の田舎暮らし」
自然の中では都会の高齢者は暮らせないという常識を変えるべきである。
買い物の不便さや、病院の不便さは、地元の若者たちと解決は出来ます。
今やドローンが活躍する時代です。AIも解決のために仲間になります。
あれこれ思考する人間をやめて、欲望に無関心になり、
自然と共に人を取り戻しましょう。

人間的な知識を頼りしすぎて怖がるのはよしましょう。
文明社会の欲望にも無関心になりましょう。
これからの人生を心の洗濯も兼ねて第六感の旅へと出かけるのです。

仏教では「無分別」という教えがあります。
知識であれやこれや考えるのを止めて人本来の姿に戻りなさいという事です。
心の洗濯をすればスッキリしますよ。

年末年始の大切な時間に「心の洗濯」をしてみてはどうでしょうか?
良い年をお迎えください。