全てを語る詩とは




2024年8月12日私が敬愛する知の巨人松岡正剛氏が逝去した。
友人から紹介されて一度お会いしたことがある。
たしかその時は工作舎で発行していた「游」の編集長だったと記憶している。
あらゆることに精通していて継承したままを伝えるのではなく、
自分の意見も取り混ぜて話されたことに驚かされた。

松岡氏に会うまでは知の師匠として敬愛していたのは、丸山眞男・小林秀雄・
山本七平などであるが特に山本氏の出版物は数えきれないほど読んだ。
特に日本の歴史と日本人の考え方とあるべき姿を卓越した文書から学んだ。

学生時代は金がなくアルバイトばかりの生活だったので
真剣に読書をしたことが無い。それならば文字に縁遠い仕事は何かと
考えた末にたどり着いたのが音楽の世界だったのです。
しかし、プロデューサーとして多方面から文章を求められて本を読み始めた。
本屋の店先に置かれた山積みになった最新本は毎月読み漁った。
海外のファッション誌も取り寄せていた。
イタリアの「ルオーモ」フランスの「ヴォーグ」などです。

私が思う良書とは深い洞察力と未来予測と作家の思いが明確に書かれた本である。
そして一流の作家(研究者)は詩人の様に短い言葉で時代を表現できる。
その上に人々を引き寄せる吸引力がすさまじいほどある方が多い。
丸山眞男、小林秀雄、山本七平などは読むたびに引き込まれた。

70年代後半から80年代にコピーライターという専門の職業が生まれた。
アーティストのキャッチコピーやバイオグラフィーでも大いに参考になった。
糸井重里や仲畑貴志がブームの火付け役だった。彼らが紡ぎだす言葉は
若者たちのこころの代弁を簡潔に短い文字で表したのです。

時代が変わり私たちが夜通し覚えた知識がAIの登場によって役に立たなくなっている。
本棚を探らなくてもChatGPTやGeminiを使えば瞬時にして文章が出て来る。
文字離れも甚だしいが難解な哲学書を読み解く面白さを味わって欲しい。
過去の経験で言うとハイデガー「存在と時間」と森信三「恩の形而上学」や
道元「正法眼蔵隋文記」などである。
その独特の文体と用語の難しさに頭脳が翻弄させられた。
しかし難攻不落な文章を頭の体操として度々読み返している。
まだどの本も完全理解には至っていない。

「美学・文学・哲学」
なぜ、これら人文知の価値を、日本人のほとんどが忘れてしまったのでしょうか?
論理的であることや合理的であることがもてはやされ、
ロジックで詰めたり論破したりするようなあり方が、
さもビジネスパーソンとして、大人としてあるべき姿で
あるかのように言われています。

確かに、論理的な話や科学的な話をしていなければ、納得されず、
バカにされ、変わった人扱いされてしまう風潮も一部にはあります。
しかしながら、「答えのない時代」と言われて久しいこの社会で、
論理性や科学的知識だけでは限界があると直感している人たちも
少なくありません。

では、そのような感性を持った方が最終的に行き着くものは何か?
それが「詩」です。

アリストテレス曰く!
「詩は歴史よりも優れ、またより哲学的である。何となれば、
詩は普遍を表現するが、歴史は特定をのみ表現するからである」
また、ウィリアム・ワーズワース曰く!
「詩は、あらゆる知の始まりであり終わりである」
そして、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン曰く!
「そもそも哲学は詩のように語ることしかできない」

昔から「詩」はあらゆる知の上澄みとして知られていました。
・なぜ、詩は特別視されてきたのか?
・人生の答えを教えてくれる詩とは、どのような詩なのか?
・科学全盛の時代にあってなお解き明かせない世界の本質を、
詩を通して受け取れる理由とは?
詩を通して真の美について考えることで見えてくるものがあります。
その思考の上澄みを掬うような思考空間に興味はありませんか?

「物質的には豊かになったけれど、心は貧しくなってしまった」
昔から言われていることではありますが、これはある意味で
現代日本人のありようを捉えている指摘であり、耳を傾けるべき言葉です。
(東京美学俱楽部より)

東京美学倶楽部が普及に務める知的体験とは、答えのない問いに向き合うこと。
それは分断や対立を乗り越えた先の普遍的な美の可能性を信じ、
その在り処へと思考をめぐらせること。
嘘偽りのない純粋な言葉を志向すること。
今はまだつかみどころのない内容に思えるかもしれませんが、
唯一無二のたおやかな体験となることはお約束いたします。

私も時間を見つけて「東京美学倶楽部」が普及に務める知的体験に
参加したいと思います。
もう一度本質を学び直したいと思います。
思考の行きつく先は「人間」にたどり着くと思います。
壮大なテーマ「人間」とは何か?興味が尽きません。