脳は鍛えられる



さまざまな経験をすると「心」が強くなると思っていたが、
それは間違いで「脳」が鍛えられて強くなるのだと知った。

感情をつかさどる右脳と視覚で情報を取り込む前頭葉が経験をデーター化して、
この出来事は以前にも経験したことがあると処理をする。
同じ経験を2度、3度繰り返すと脳のデーター処理が早くなり迷うことが少なくなる。

例えば、恋愛において死ぬほどつらい経験をしていれば、

それが次の経験に活かされて、喜びも悲しみも失恋の痛みも調整されるのである。
それは恋愛の興奮まで奪い去るのではなく、いつでも感情のアクセルとブレーキを
踏みながらコントロールが出来るようになることである。

人間関係や仕事においても同じようなことが言える。
良い経営者ほど辛い経験を明るく語るのは、成長期には何度も辛い経験をする方が
必要だと考えているからである。仕事での失敗や取引先でのもめ事もすべて糧となり、
将来に活かされると信じているからこそ暗くなる必要はないのである。

そして鍛えられた「脳」が自信と明るさを表面に出して人間性を伝えられるようになる。

人生の目的は現状に一喜一憂することではなく、将来の目的を達成することなので
目の前の壁の高さは気にならなくなる。もっと脳を鍛えましょう。

年齢を重ねると頼まれる事が多くなりました。
最近若い人達とのやり取りで「それは違うだろう」という思いがありました。
しかし、すぐに怒り、諌めるのではなく「自分も若い時には同じだった」のかと
流れに合わせます。いずれ相手の機嫌の良い時に注意をすればそれで良いのです。

自分の思い通りの内容でなくても、若者たちが一緒に時を過ごしてくれるのですから、
ありがとうと常に感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。

目の前の本棚の中に、今の私の心境を語っている本がありました。
「おかれた場所で咲きなさい」ノートルダム清心学園理事長渡辺和子著
とても心が清らかな気持ちになります。また素直にもなります。

私なりの解釈で加筆もしております。ご了承ください。

「自分の思い通りにならなかったらすぐに腹を立ててしまうのはやめなさい」

自分のルールを相手に求めてもそれが違ったらそれで良いのです。
流れるままに生きることは周りを見ないのではなく、
自分本位ではなく相手も取り入れた形で行うことです。

つまり自分が清らかで勢いのある人生なら相手は自然に巻き込まれて来るのです。
暇は別字で「日間」と言います。日間は日の当たる間ができたということです。
忙しいのは心が亡くなると書きます。太陽の日が当たらなければ草木も育ちません。

心が亡くなるような仕事に追われて自分を見失うほど悲しいことはありません。
自分なりの光を見つけて周りを照らすことに心がけましょう。

「一燈照隅万燈照国」最澄
一人の人のテラス光は隅にしか届きませんが、大勢の人の光は国をも照らすのです。

「清く優しくいきるには」

主は問われる。
「何を望むか」
「謙遜を」
「次に何を」
「親切を」
「さらに何を」
「無名を」
「よかろう」
岡山県玉島にいる牧師「河野進」先生作

地位や名誉を求める為にどれほど多くの人を傷つけたか、
そしてそれを自慢げに話す愚かさが人間です。

尊大な私を取り除き「謙遜」に関係を保つ。
強欲な私を取り除き「親切」を忘れずに応対する。
傲慢な私を取り除き「無名」名もなき一人の人間として対応する。

素敵な教えも守らなければいみがありません。

「NHKスペシャルで取り上げたアメリカの非行少年の改心の物語」

崩壊家庭に生まれ育ち、友達はワルばかりでした。自らも非行に走り刑に服したのです。
刑務所を出所した少年が働く作業場に、ホームレスの男が来てのべた言葉。

お前は、何かにぶつかった時、
「反射的に行動し」、「それから感じ」、「それから考える」という順序で
生きてきたのか。それともその逆の順序だったのかい。
少年は「言われた通りの順序だった」と答えると、だからお前はここにいるのさ。
これからは逆の順序でやってみな。

「考えてから」、「感じてから」、「行動する」
この時から少年の自分自身との戦いが始まりました。

「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」座右の銘です。

「親の価値観が子供の価値観を作る」

3歳ぐらいの子供を連れた母親が水道工事のそばを通り過ぎる時に、
「おじさんたちが、こうして働いてくださるおかげで、坊やは美味しい水が飲めるのよ」
ありがとうと言って通りましょうね。

同じ水道工事のところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。
子供に向かって言いました。
「坊やも勉強をしないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

価値観はこのようにして、親から子供に伝えられることがあるのです。
最初の母親は、「人間はお互い同士、支えあって生きていること」、
労働への感謝の念を子供の心に植え付けたのに対し、2番目の母親は、
「職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する」価値観を植え付けたのです。

母親から出た言葉は幼き子供の脳に焼き付きます。良き言葉を使うようにしてください。

「私は木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」

寸暇を惜しんで、他人より良い木を、より速く、より多く切ることに専念したこの人が、

仕事をしなくてよくなった時に見出したのは、刃がボロボロにかけた斧でした。
木を切る手を時に休めて、なぜ、斧を労ってやれなかったのを悔やんだことばでした。

死の間際に残す言葉の一つに「もっと仕事より自分を見つめる時間を作れば良かった」

「家族ともっと話し合う時間を作れば良かった」というのがあります。
どれほど偉くなり地位や名誉や財産を残したとしても、子供達や友達と
楽しい時間を作れなかったのが悔やみ後悔すると残しています。

そして「自分の趣味をもっと楽しめれば良かったのに」
子供の時にあれほど好きだった趣味が受験によりできなくなり、
社会へ出て出世競争に明け暮れてそのうち忘れてしまう。
お金が少し残せたとしても趣味に時間が取れなかったことが悔やまれるというのです。

多くの団塊の世代は働くことに専念して楽しむことが出来なかったのです。

「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」

どうしても我慢できないようなことを許すのを堪忍というのであって、
普通に簡単に許せるようなときには堪忍とは言わない。

自分が寛容であると考えている人は、許すということの心構えが欲しいものです。

良き言葉を学ぶことは人生を変えるほどの力が備わります。
「愛語よく回天の力あり」より