確固たる個性の形成




奇跡の人HJ LIM(リム・ヒョンジュン)
韓国出身のピアニスト「ベートーヴェン・ピアノソナタ全集」
故郷の母親に聴かせるために、個人的にインターネットにアップした動画が
世界中で大ブレークとなった。

12歳でパリに音楽留学。
韓国在住の母親に自分の演奏を聴かせようとユーチューブにアップしたところ、
それが大手レコード会社であるEMIのプロデューサーの目にとまり、
いきなりベートーヴェンの全集レコーディングに至ったという。

通常ならば、世界中で行われている各種コンテストに出場、上位入賞を果たして
何とかレコード会社と契約にこぎつけるというケースとは全く違っています。

果たして彼女は超絶技巧のピアニストなのだろうか?

テンポは微妙に揺れ動き、強弱、間の取り方、表情、
すべてがいわばやりたい放題なのですが、
それでも何かベートーヴェンそのものになっているのです。
他の演奏家と張り合うのではなく自分の感じたベートーヴェンを弾いているだけなのである。

一体個性とは何だろうか?
一般的には、「その人らしさ」とか、その人特有の性質・性格であり、
自然とにじみ出てくるものとあります。
周りの人と違っている部分が個性であり調和がとれるのです。
芸術家も、音楽家も、研究家も、経営者も個性が尊重されるのです。

ここで「個性」とは何だろうかを考える。
何故、日本の子供達から「個性」が消えたのだろうか?

個性消滅の諸悪の根源は「義務教育」である。
子供たちの個性が一番伸びる時期に均一の授業を行い、
画一化した子供たちを大量生産している。
受験のための教育に価値など何もない。
ましてやAIの時代が来れば単なる記憶は不要の長物である。

子供達の才能を引き延ばせば日本はあらゆる面で世界の頂点に立つことは出来る。
細かい手作業も、漫画やアニメに代表される物語性も、アスリートとしても、
研究家としても日本は素晴らしい環境が整っているのです。

日本では個性的な子は概して「落ちこぼれ」として扱い、
海外では「ディファレント」(違い)と言って個性があることは高く評価されるのです。

私は「個性」あるプロデューサーとして「音の職人」と言われていました。
全ての判断は自分の感性に準じています。

最初に提供された曲をアレンジャーと話し合って構成を決めます。
その後、テンポ、ビート感、抑揚(サビ)の持っていき方などを話し合います。

当日の全楽器の音色もチェックします。音の配置によってグルーブが変わるからです。
ボーカリストの声質とメロディーラインも一番良いポジションを探します。

重要なのは1~2回リハーサルを繰り返し、言葉(歌詞)の乗っかり方を確認します。
乗っかりが悪い場合はその場で歌詞を変えてしまいます。
特にボーカルの「ゆらぎ」を作り出すことに専念しました。
喉から出ている声、腹から出ている声、骨から出ている声を聞き分けるのです。
これはとても重要な作業ですが他のプロデューサーは取り入れていません。

そして出来上がったサンプルをカーラジオ、カセットデッキ、家庭用ステレオなど
音楽ファンの方々が通常CDの再生をする機材で仕上がりをチェックします。
昔の話ですから今では通用しませんが、良質なスタジオの音よりも、
一般オーディエンスが聞いている環境で再現することも必要でした。
再生機によって音の配置がガラッと変わってしまうので感動が薄れることもあります。

音楽にこれが正しいというのはありません。
プロデューサーの個性と感性で作ればよいのです。他人と比べる必要はありません。

クラッシックでは指揮者によって同じベートーヴェンの曲でも、
違う世界を作り出すことが出来ます。指揮者の個性が発揮される部分です。

ポップスやロックの世界でも「個性」ある人の方が長く活動が出来ます。

「個性」(こせい)の言葉で思い出したのが「悟性」(ごせい)です。
「悟性」は対象を直観的に把握・理解する能力、思考力、知性を言い表す哲学用語です。
その人らしさ、性格・性質に「悟性」が加わると最強だと思いませんか?

この原稿を書き上げている間、部屋のBGMとして流れていたのは、
HJ LIM(リム・ヒョンジュン)ベートーヴェン・ピアノソナタ「確固たる個性の形成」でした。