思索の時
人生において道を失いかけたときに行く先の光を見つけ出さなければならない。光とは希望である。
希望とは希少な望みである。なかなか手に入れることは出来ない。
自分のおかれた運命の扉を開き「何をすべきか」を自問自答するしかない。
その運命の扉の鍵こそが「志」なのである。
何を考えて何を行動するかは志の問題である。志なき者は道に迷い、道を外すだけである。
いかに志を身につけるかは己の信念と日々の活動による結果でしか生まれない。
志とは一生の使命であり、人としての誇りである。
その難攻不落な「誇り」という壁に向かうのは「夢を持つ」以外に術はない。
夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。
吉田松陰
吉田松陰に「奇傑非常の士に交わる」という言葉がある。
志を作るときには普段出会えないような大人物に会え!
その人の言葉から志とは何かを受け取り先ずは思索しろ!
さすれば、おのずからと志へと続く一本の道筋が見えるようになる。
そして、名山大川を闊歩して大気のエネルギーを吸収しろ。
大自然の中でどう生きるかを熟慮しろ。
大自然に比べれば人間なんて取るに足らないほどの卑小な存在である。
身体の底から湧き上がる感情を心に刻み込め。
江戸の儒学者佐藤一斉は言志四録「立志の巧」の中で「立志の巧は恥を知る以って要と為す」と言っている。
志を立てて実績を上げるには恥を知ることが重要である。
気持ちの高ぶりと経験のなさによる失敗を何度も繰り返してはじめて志に近づく。
すなわち、志を手に入れるのは安全で確実な方法は無く、
険しさをかき分けて危険な道を行くことが大切であることを教えている。
挑戦する者は恥をかくことを恐れるな。自分の選んだ道を行くがよい。
そこには恥など無い。恥を感じる自分がいるだけである。
一生の内に思索しなければならない時がある。それを青春という。
青春に年齢はない。夢をあきらめなければ一生青春である。
情熱をもって思索する時に希望が生まれるのだ。