虹の彼方に
虹の彼方にと云う曲がある。
ジュディ・ガーランドの歌でサウンドトラック用の録音もされ、
彼女がこの曲を歌うシーンの撮影もなされたが、
映画の編集段階になって撮影所幹部たちから、
14歳の少女が歌うには大人びた歌で相応しくないと物言いがつき、
「虹の彼方に」の歌唱シーンはカットされかけた。
だが映画のプロデューサーであったアーサー・フリードは
この曲が気に入ってカットに猛反対し、
葬られかけたこの曲は土壇場で踏み止まることができた。
結果「虹の彼方に」はアカデミー歌曲賞を受賞して大ヒットし、
歌ったジュディ・ガーランドにとっても自らのトレードマーク、テーマソングとも言うべき
ナンバーとなって、以後の彼女の生涯を通じての持ち歌となった。
ジュディが1961年のカーネギー・ホールでの
ソロ・コンサートで歌ったライブ・バージョンは、ことに名唱とされている。
虹の向こう側のどこか高い空の上に
いつか子守歌で聞いた国がある。
虹の向こう側の空は真っ青で
そこでは、どんな夢もかなえられる。
虹の向こう側のそこには青い鳥が飛んでいるの。
鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら
私にだって飛べるはず。
幸せの小さな青い鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら、
私にだってできないはずはない!
映画「アポロ13号」の中で挿入歌として流れていた記憶がある。
記憶を確かめる為に映画情報等をくまなく調べたのだが分からなかった。
このようなシーンだったと思う。
やがて大気圏再突入となるが、再突入時には通常、通信が約3分間途絶してしまう。
ケンは何度もアポロ13号を呼び出すが、3分間経っても返答はない。
しかし約4分後、 交信が入る。
限られた資源と時間を使って奮闘した乗務員と管制センターの連携により、
彼らは無事に地球に戻ることができ、管制室は歓喜に沸いてハッピーエンドとなる。
ラストロールでこの曲が流れた時には
改めて良い曲だなと身震いした実感がある。
高校生の時に初めてバンドを組んだ。
ピーターポールアンドマリーのコピーバンドである。
その中の選曲で「Gone the Rainbow」という曲があった。
Oh my baby oh my LOVE
Gone the Rainbow gone the dove
Your father was my only LOVE
Johnny gone for a soldier
そして大学では学園紛争の真最中であったので、ボブディランのコピーをして一人で歌った。
「時代は変わる」「戦争の親玉」「風に吹かれて」を校庭で歌い続けた。
自分にとっては反戦歌を歌うのが当時のファッションであった。
しかし、学生運動家から度々仲間に誘い込まれるのが嫌で
ボブディランをやめた。
その後は宇宙と大自然をテーマにするアーティスト、ドノバンに魅かれてコピーをした。
学生時代に英国行きを決めたのはドノバンが居たからである。
いつも歌を歌っている時には目の前に虹が見えた。
鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら
私にだって飛べるはず。
貧乏学生にとっては、歌う事が虹だったのかもしれない。
一瞬の通り雨の後七色の虹を見かける事がある。
そしてその大きな虹の上にもう一つの虹を見る事が有る。
ハワイではそれをダブルレインボーと言って特に喜ばれる。
それは大きな願を叶える力があると信じられているからである。
そしてその後に層積雲の隙間から幾筋もの光が差し込み、
まるで天と地を結ぶ階段のように見える現象が「天使の梯子」である。
虹は神様が世界中の人に平等に与えた光の贈り物である。
戦争をしている人達にも、
貧困にあえぐ人達にも、
人種問題を抱えている人達にも、
自然災害や原発で被害を受けている人達にも
平等に与えられるものである。
どんなに大きな問題を抱えていても、虹が空に掛った時には
平和への願をしてみて下さい。きっと叶う筈です。