余分な知識Ⅱ
車道に出て手を上げればタクシーは停まる。
フォークとナイフをもてば食事は出来る。
ポケットに小銭があればジュースは飲める。
携帯電話からでも音楽は聞ける。
それなのに、
乗るタクシーの運転手が良い人か悪い人なんか考える必要はない。
出されたフォークやナイフの素材が気になっても仕方ないことである。
買ったジュースの成分が人体に及ぼす害なんか考える必要はない。
最新の携帯の音が良いとか悪いとかどうでも良いことである。
具体的に必要なものを、必要な部分だけ利用すれば良いのである。
いつも不必要な情報に惑わされて不安にかられる必要がどこにあるのか。
今、何をするために、何が必要で、何があるか、だけを考えて動けば良いのである。
暇な学者が無駄な知識を振りかざして価値の無い正論を吐く。
暇な医者が健康な人に嘘の情報を流して不安をあおり惑わせる。
暇な都会人が安全な場所から平和や原発反対を叫ぶ。
それらをマスコミが取り上げて事件のように報道するから誤解が始まる。
時代の先を読むことは政治家よりも科学者や哲学者に任せれば良い。
病気になればなった時に医者に頼るしか無く、
犯罪が起こればその時は警察に頼めば良いのである。
わざわざ悩みの種を見つけ出して取り越し苦労をする必要はないのである。
それよりも我々は日々正しく「生きる」ことを考えなければならない。
正しく生きるとは欲に囚われずに自分の「使命」を全うする事である。
使命とはこの世の中で何が自分にできるかを熟慮して貫くことである。
たんに収入を得る為の労働は使命ではない。
労働で得た技術を世の中の役に立つように使う事が使命である。
貪欲・瞋恚・愚痴の三毒に犯されて地位や名誉や財産だけを手に入れようとせず、
今の自分の立ち位置を明確にして人としての「志」の道筋を作らなければならない。
その「志」を失わない為にも金言を胸に秘めなければならない。
坂村真民「鳥は飛ばねばならぬ」
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒とうの海を
飛びゆく鳥のように
人は混沌の世に
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを
知っている
そのように人も
一寸先は
闇では無く
光であることを
知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
人間も鳥も厳しい現実を知りどの様な状況も乗り越えなければならない。
混乱の先には闇では無く光があることを知り希望を持たねばならぬ。
画一された社会の中で生きる原理原則を知っていれば動揺などする事はない。
生老病死の四苦を身にまとい一生過ごすのである。
余分な知識でじたばたしても何も始まらない。
他人の情報で惑わされても何も起こらない。
シンプルに人生を組み立てれば悩みなど起こらないのである。
原理原則を知っていれば少しの風にも揺れ動かないのである。
少しの風、それが貴方を惑わす余分な知識なのです。