陰翳礼讃
沈思黙考日陰から生まれ放蕩快楽は陽向から生まれる。
日本人は陰の文化を追求した世界でも稀なる唯一の民族である。
総じて東洋人は己の置かれた境遇の中に満足を求め、
現状に甘んじようとする風潮があるので、
暗いと云う事に不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、
光線が乏しいのなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、
その中に自からの美を発見する傾向がある。「陰翳礼讃」谷崎潤一郎より引用
日本人はその薄暗い暗闇から侘び寂びの精神文化を形成してきた。
徒然草の歌の中にも「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し」というのがある。
満開よりも散り際の方が、晴天よりも雨雲に隠れた月の方が情緒があって素敵だという。
西洋人のようにはっきりと華やかに見えるものに価値を置くのではなく、
我々日本人はあえて見えない部分のぼんやりとした姿に風情を感じてしまう。
日本家屋において客を迎い入れる床の間の考えかたも一種独特である。
家屋の北側に面した書院の隣の陽の当らない部屋に床の間を設けて掛け軸や置物や飾り花を活ける。
しかしそれらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも陰翳に深みを添える方が主になっている。
床の間の部屋には光を直接取り込むのではなく、
庇や障子であえて光を屈折させて取り込むのである。
その為に日本人の思考にこの様な考え方が存在する。
貧しい時の友情は長く続くが経済的に恵まれている時の友情は長く続かない。
不況の時に生まれた文化は長く続くが豊かな時に生まれた文化は長く続かない。
死を共にした仲間とは一生付き合えるが快楽だけを共にした仲間とは直ぐに縁が切れる。
貧しい時の思考は複雑に判断するが豊かな時の思考は単純に判断を下す。
全てにおいて陰翳を基準にして陰に重きを置いているかが分かる。
侘び寂び文化の第一人者は茶人千利休である。
彼はわざわざ掃き清めた庭に紅葉の木を揺らして葉を散らしてみたり、
満開に咲いた朝顔の花を全部切り取り一輪だけ床の間に活ける。
四畳半の茶室をさらに狭めて3畳・2畳にまでしてしまう。
利休は敢えて華やかさや贅沢を排除して質素簡素化に究極を求めたのである。
また茶の作法である一つの椀で飲みまわす行為は、もともと禅宗の儀式から始まった世界である。
そして茶室は禅修行者が会合して討論し黙想するための道場であった。
茶道の心髄は「美をみいださんがために美をかくす術であり、
現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である」茶の本岡倉天心より引用
現代のように長く不況が続いた時代は「陰の文化」が見直される時代でもある。
外面よりも内面、デザインより技術、集団より個人が見直され時代なのである。
この時代は陰翳と静寂を好む日本人が活躍する時代でもある。
しっかりと肝に銘じたい。