ミニマリスト




先日お会いした方から私はミニマリストなのですと打ち明けられた。
勿論、言葉は知っているのですが若い人たちの流行だと思っていました。
少しお年を召した素敵な女性だったので意外だなと思いました。

日本人はどちらかというと一カ所一住を希望されている方が
多いので意外だなと思うのです。
その昔、家は長男が継ぐもので、それ以外の子供達は家を出ることが
決まりでした。それでほとんど持ち物がない状態で出るわけですから
自力で家具などを買い揃えなければなりませんでした。
その結果、年配になると家の中には物などが溢れてしまうのです。

私が若い時に住んでいた英国のアパート(フラット)は、家具や食器が
全部揃えてあり自分の身の回りの服だけで、引越ししたその日から
普通の暮らしができます。
今のフランスでも最近ミニマリストが増えたと聞きますが、
これはあくまでも若い世代の節約観念から使われている言葉です。
EUで簡単に海外へ行けるようになり、少ない持ち物で暮らすことが、
普通になり、年間を通じて大好きな服が5~6着あれば済むという感覚です。
本来のミニマリストと少し違います。

日本には昔から伝統的に断捨離があります。不要ものは廃品回収業者に
取りに来てもらい、それを他の人へ譲り再利用してもらっていたのです。
リサイクル、リユース、リデュースは当たり前に行われていました。

日本は戦後世界でも類を見ない勢いで経済大国になりました。
アメリカ型の生活に憧れて家も車も家電も洋服もローンで買い漁ったのです。
GDP世界第2位にまで駆け上り国中が新商品に埋め尽くされてしまいました。
いまやコロナ禍、戦争、自然災害、円安不景気を経験して大量消費の時代が
ようやく終局を迎えようとしています。
安いからといって無駄なものまで買い揃える文化は無くなってきたのです。

ミニマリストとは、『ミニマル(minimal : 最小の)』+
『ist (接尾辞 / 〇〇な人、主義者)』を組み合わせた言葉で、
必要最低限のもので生活する人・ライフスタイルを指します。
2010年前後、大量消費社会への疑問を背景に
海外の富裕層に使われ始め、その後日本にも広まりました。

ミニマリストのゴールは自分の生活に余分なものをそぎ落とすことで、
質の高い生活を送ることにあります。
そのため、主にものを減らすことに焦点が当てられますが、
ものに限らず情報や行動、人間関係に関しても厳選の対象になります。
自分の大切にしている対象のみに時間やお金をかけることで、
心豊かな生活の実現を目指すのが、ミニマリストなのです。

そして断捨離は「物を減らす行為」そのもの
「不要なものを減らす」と聞いて断捨離を思い浮かべる方も
少なくないでしょう。「ものを手放す」という点では共通している
ミニマリストと断捨離ですが、
それぞれの言葉が指している対象が異なります。

断捨離とは、「断(新しいものを断つ)」「捨(不要なものを手放す)」
「離(ものに対する執着をなくす)」の三つを掛け合わせた単語です。
ミニマリストが、ものを厳選して必要最低限のもので暮らすことに
価値を見出している「人・ライフスタイル」を意味するのに対し、
断捨離はものを厳選する段階での「行動・手段」
そのものであるということがわかります。

ミニマリストの対義語:マキシマリスト
ミニマリストの対義語「マキシマリスト(maximalist)」とは、
『マキシム(maxim:最大限の)』+『ist (接尾辞:〜な人、主義者)』を
組み合わせた言葉です。より多くの物に囲まれて生活することに
価値を見出している人、ライフスタイルを意味します。

しかし「マキシマリスト=散らかっている・汚い部屋で暮らしている人」
ではありません。多くの物を所有しながら、いかにまとまった
自分好みの空間に仕上げるかという観点がある人がマキシマリストです。
ミニマリストとマキシマリストは自分の大切なものを大切にする点では
共通でありながら、ものの多さ・少なさやどちらに豊かさを感じるのかで
違いがあります。

昔、読んだ本で感動したことがありました。
中里恒子さんの「時雨の記」という本です。

夫と死別して一人けなげに生きる多江と、実業家の壬生。
四十代の女性と五十代の男の恋は、知人の子息の結婚式で二十年ぶりに
再会したことから始まった。はじめて自分の本音を話せる相手を見つけた男と、
それを受け止めてなお甘えられる男に惹かれて行く女。
人生の秋のさなかで生涯に一度の至純の愛にめぐり逢った二人を描き、
人の幸せとは、人を愛するよろこびとは、を問う香り高い長篇小説。
雅びな恋愛小説を数多く遺した中里恒子の作品です。

このストーリーの中で特に大好きだったのがこの部分です。
「秋風が吹き出しました。夏から秋へ、移るのを待って、多江は、
壬生が、泊りがけで来る日に茶道具をしらべて貰うことにしました。
多江は、壬生にもちものをさらけ出すことで、自分の生涯、
身の上の説明にはなるだろうかと考えました。金目のものはないのです。
好みのものを見てもらうつもりでした。
「がらくたも出しておきました、あやしいのは、この際処分したいので」
「そうね、ぼつぼつ探してあげるから、つまらぬものは、捨てるんだね」
死をまじかに控えた壬生の最後の思いやり
「好きな女性には本物だけを残して欲しい」つまらぬものまでとっておく必要は無い。」

子どもは欲しいものを手に入れるが、大人は必要なものしか手に入れない。
今の時代だからこそ「自分に不必要なもの」まで側におくのはやめましょう。


ブライアン・エプスタイン




余りにも有名なビートルズ誕生秘話ですが、
私も何度も同じような経験をしています。
この投稿の最後に私の体験を掲載しています。

1961年12月13日、ブライアン・エプスタインの伝記から
彼はリバプールのレコード店の経営者で、当時ビートルズのマネジャーを
買って出ていた、ロンドンの大手レコードレーベルであるデッカの
A&R(アーティストの発掘・契約・育成や楽曲の制作を行う)担当である
マイク・スミスを、キャバーン・クラブに招待した。

ビートルズの演奏を生で聞かせるためだ。
ライブを観たスミスはビートルズをいたく気に入り、
翌年の1月1日にロンドンに来るようにと彼らに伝えた。
そして同じころ、ビートルズは『マージー・ビート』誌上で行われた
リバプールのバンド人気投票で、ジェリー&ザ・ペースメーカーズと
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズを抑えて堂々1位に輝いた。

ビートルズのその年最後の仕事は、12月27日にキャバーンで開かれる
「ビートルズのクリスマス・パーティー」というイベントだった。
ところが直前になって、ドラマーのピートから体調を崩して参加できなく
なったと連絡が入った。
そこで代わりのドラマー候補として、3人が口をそろえて挙げた名前は、
リンゴ・スターだった。

セッションを終え、リバプールでデッカからの返答を待つ4人に、
ブライアンが言った。
「いいかい。たとえ僕がでかい仕事を取ってきても、
レザーの服のままじゃやらせてもらえないよ」
ジョンは答えた。
「わかった。スーツを着るよ。金になるなら、風船でも何でも着てやるよ!
別にレザーが大好きってわけじゃないからね」
これを聞いて、ポールもうなずいた。そろそろイメージを変えてもいいころだ。
「どちらにしても、全身レザーってのはそろそろ時代遅れだしね」
テレビに出るためにはスーツを着なくちゃいけない、というなら、
スーツを着るまでだ。ひらひらしたドレスだろうが何だろうが、
ライブがやれるなら何でもよかった」

「ブライアンは、僕らのイメージをクリーンにしようとしていた。
僕らは、ブライアンについていくことにした」
1月29日月曜日、ブライアンはビートルズをバーケンヘッドにある
ベノ・ドーンの店に連れていった。ブライアン行きつけの仕立屋だ。
4人は「下襟は絶対に細め、パンツもものすごく細く」することを要求し、
主任職人を閉口させた。

しぶしぶとはいえ、ジョンがステージでスーツを着てネクタイを締める、
という皮肉な事態に、叔母のミミは大喜びし、笑い飛ばした。
「ハハハ、これでみすぼらしい格好も終わりね、ジョン・レノン」。

1週間後、ブライアンはデッカの幹部に会うために、
1人でロンドンに向かった。
役員専用のダイニング・ルームに通されたブライアンを待っていたのは、
A&R部門トップのディック・ロウ、営業部長のスティーヴ・ビーチャー
=スティーヴンズ、彼のアシスタントのアーサー・ケランドという面々だった。

重役がそろっているのを見て、これは期待できそうだ、とブライアンは思った。
「ミスター・エプスタイン、率直に申し上げて、われわれはあの子たちの
サウンドを気に入りませんでした。4人組のギター・グループは、
もうはやりませんよ」

「みなさん、どうかしているんじゃないですか? 
あの子たちの人気はこれから爆発的に広まります。
いずれはエルヴィスよりビッグになるはずだと、私は信じています」
そう言うとブライアンは、「ビートルズ、人気投票で1位!」という
見出しの躍る『マージー・ビート』を取り出し、幹部たちに見せた。

「この子たちは売れません、ミスター・エプスタイン。
私たちは、この手のことはよくわかっている。
リバプールでのレコード店の事業が好調なんでしょう。
そちらに専念したほうがいい」
この侮辱的な言葉と見下すような口調こそ、ロンドン特有の気取った
根性の表れだ、とブライアンは思った。

2月10日にリバプールの自分のオフィスに戻るやいなや、
トニーによるプロデュース計画を断る手紙を投函した。
手紙には、こう書かれていた。
「前回お会いした後、ビートルズは別の会社からレコーディング契約の
オファーを受けました」
これは、真っ赤なウソだった。ブライアンは、ビートルズを却下したことを
必ずデッカに後悔させてやると、心に誓っていたのだ。
「デッカの連中は、ランチ代程度の費用でビートルズと契約できたはずなんだ」
とブライアンは思った。

実際、トニー・ミーハン自身も、何年も後になってこう振り返っている。
「あらゆる意味で、完全な混乱状態だったよ。あれは、企業として
取り返しのつかない大失敗だった」

私が久保田利伸を会議に欠けた時に一斉に言われたことは
「黒人音楽は絶対に日本では売れない」「発売を認めない」
という言葉でした。

そこで私は秘策を考えて「すごいぞテープ」を自費で制作しました。
そのテープの内容は当時大ヒットしていた「ウィ・アー・ザ・ワールド」
へ出演している歌手のヒット曲を久保田の声でつなげたテープでした。

私はこれを深夜番組のDJたちに配りました。
放送では著作権の関係で流すことは出来なかったのですが、
彼らから久保田利伸の歌のうまさを拡散させたのです。

そうするとあらゆるところから会社へ問い合わせの電話が入り、
「すごいぞテープ」がほしいとリクエストが殺到したのです。
秘策はまんまと成功して社内でもテープを欲しがるスタッフが続出しました。

私は役員からテープが欲しいと言われた時には、
「何故発売しないアーティストのテープが欲しいのですか?」
「渡しません」ときっぱりと答えたのです。

その結果、次回の会議で発売の承認を獲得したのです。

そしてブライアンと同じように大ヒットさせるには、
若者受けするファッションも大切だという事で
ロンドン在住のコシノミチコへ衣装の依頼をしました。
当時、英国の有名アーティスト(スティング・ボーイジョージ)の
衣装を作っていることを知っていたのです。

結果はご存じのように久保田利伸もミチコロンドンも時代を制したのです。
女子十二楽坊の時にも同じ洗礼を受けて世界的大ヒットになりました。
「会議で反対されるほどヒットにつながる」これが持論です。


分別知




「隻手の音」
片手の音を聞く?禅とは何か?
凡人には何のことかがわからない。
片手からは音の鳴りようがないからである。
禅の世界はありえのないことを追求して真理を見つけるのである。
自分も含めた常識で問題解決を図るから解決の答えは見つからないのである。

さて瞑想知について、少しく補説しておこう。
はっきり申し上げれば禅は、前頭前野での自己認知をはじめ、
大脳皮質のはたらき全般をあまり信用していない。

外界の認識さえ自己というフィルターで歪めるし、それは世界と
直に向き合うのを妨げてさえいる。
むしろ辺縁系や脳幹部などが管理する命そのものこそ大切で、
それを妨げる脳機能には時に休んでもらうほうが天真も養える
というものだ。換言すれば坐禅とは、ああでもないこうでもないと
常に過熱する「分別知」を鎮静化させ、薄靄のなかに稲妻が走るように、
直観がはたらきやすい状態になる稽古、とも言えるだろう。

分別知とはわかることを分けることなのです。
子どもは母親を、ただ「この人」と理屈抜きで諒解している。
パーマをかけた、色白で、小太りの、などの形容詞は一切要らない。
命が命を直接把捉するためには、是非とも片手の音を聞く、いや、
憶いだす必要がある。円覚寺館長横田南嶺

あらためて考えてみますと、人命は平等に尊いものですが、
人生とは決して平等ではありません。
たとえ兄弟姉妹であったとしても、一人一人顔も違えば性格も異なります。
それぞれの命が平等だからといって、同じ様な人生になる筈はありません。
むしろ十人いれば十通りの人生がある筈です。 

ところが日本人は横並び意識が強く、
「他人が持っているものを持っていない自分は不幸である」と考えがちです。
また格差が拡大している昨今では、無関係な人に不満をぶつける
無差別殺傷事件も後を絶ちません。

法務総合研究所が平成二十五年に発表した
「無差別殺傷事犯に関する研究」によれば
「事例数としては、自己の境遇に対する不満によるものが最も多く、
次いで特定の者に対する不満であった」 とあります。

一部では「親ガチャ」という言葉が流行し、
人生の価値が出自で決まるというような風潮さえあります。

しかし人生というのは誰かから与えられるものではありません。
自分自身で切り拓いていくものです。有意義な人生をおくるのも、
そうでないのも、それを決定するのは自分自身の行動です。
それはけして生まれ落ちた境遇で全て決まるものではありません。

大谷翔平選手が、高校三年生の時に書いた
人生のマンダラ・マップ表を見ると、真ん中に大きく
「人生が夢をつくるんじゃ無い!夢が人生をつくるんだ!!」
と書かれています。
「恵まれている人生だから夢を持つことができる訳ではない。
夢に向かって努力することが素晴らしい人生を作るのだ」という意味でしょう。
弱冠十八歳にして流石だと言わざるを得ません。
そうした心構えで生きてきたからこそ現在の大活躍もあるのでしょう。 

勿論、育った環境など、私たちは周囲の影響を受けずに生きて
行くことはできません。恵まれた家庭に生まれた人もいれば、
そうでない人もいます。
健康な身体で生まれた人もいれば、生まれつき病気がちな人もいます。
それらは授かりものですので選り好みはできません。
有り難く頂くしかありません。 

しかしどんな境遇にあったとしても、どう生きるかは自分次第です。
だからこそ大切なのは人生に正しい目標を持つことです。
そして目標を達成する為の具体的行動を継続することです。
今、幸いに私たちは、大谷翔平選手の姿から、そのことを自分の目で
学ぶことができるのですから。

私も音楽業界に入りたての頃に友人からプレゼントされた
ナポレオンヒルズの書いた「思考は現実化する」を読み
壁いっぱいに目標を書いて努力に励みました。
他人と同じことをしていても頂点には立てない、
誰もやらないことを一番にトライすることが実績として残る。
その結果多くのアーティストの成功に役立つことが出来たのです。

人は見たもので全てを判断しがちです。
しかし、それは分かったことに決して繋がりません。
私がすこしマーケティングの勉強をしたからといって
全部を把握したことにはなりません。
結果が成功したので正しいと思っているだけかもしれません。

「隻手の音」
片手の音を聞く?禅とは何か?
凡人には何のことかがわからない。
片手からは音の鳴りようがないからである。
若い時には宗教関係の本は暇な人たちが読む本だと思っていました。
様々な経験を積み重ねてから「禅」に惹かれるものがあります。
すべての現象には裏が存在するという事を体系的に知ったからです。
これからも奥深い学びを続けなければならないと思う次第です。

「分別知」を理解したうえで自分の「直観」に頼ることも大切です。
止まる学問ではなく動く学問です。「感即動」です。


5つの感覚とは




5感覚が人間に備わる意味…見るため、聞くため、嗅ぐため、味わうため、
触れるためだけにあるのではない。

見ても見ても、真の姿を見ることができない目
聞いても聞いても、真を聞くことができない耳
嗅いでも嗅いでも、真の香りを嗅ぐことのできない鼻
味わっても味わっても、真の味を知ることのできない舌
触れても触れても、真の感覚を感じることのできない皮膚

5感覚で真を知ることができると思うからこそ人は誤る。
自然科学は5感覚だよりに突き進んでいるからこそ、
地球を汚し、人を殺し、人間の尊厳を奪い、人類を破滅に追いやる。

5感覚がなぜあるのかをよくよく考えてみなければならない。
自分の身体の満足のために備わっている機能だということが
大きな勘違いであることに気づく。
目は心を映すためにあり、耳は存在の悦びを聞くためにあり、
鼻は他の心の匂いを嗅ぐためにあり、舌は救済の言葉を語るためにあり、
皮膚は他の心を温めるためにある。

人は目的知・完全知に辿り着いた時、
もうこれ以上知らなければならないことはないことを悟り知る。
そしてなるべきことはただ、5感覚を能動的に使った実践行動のみとなる。
これを四智の一つ「成所作知」と言うのだろう。

盲目とは視力がないことを言うのではない。
心の目を使って世界を見ることを言うのだ。
存在が深まっていく悦びに覚える。 

声明(しょうみょう)
声明は日本の伝統的な仏教聖歌です。
声明は、仏教とともにインドから中国へ伝えられ、
中国で新たに作られたものも加わり、日本へと伝えられました。
もともと声明とは古代インドの学問のひとつで、
シャブダ・ビドヤーといわれ、
言葉の学問、つまりサンスクリット語(梵語)の
文法学を意味していました。

仏教発祥の地である古代インドには、 五明 という、学問を大きく
5つに分類する考え方がありました。仏教においては、僧侶が教養として学ぶ
5つの分野をいい、そのうち言葉や文法などを学ぶ分野を、
古代インドの言葉でシャブダ・ビディヤーといいました。
そして、声や音を意味するシャブダには“声”、学んで明らかにすることを意味する
ビディヤーには“明”の文字をあてました。これがルーツとなって、
僧侶がさまざまな音楽的技法を用いて経典を唱える仏教音楽を、
日本では声明とよぶようになりました。

日本では平安時代、密教僧が真言や陀羅尼の学習のために
この梵語の文法学である悉曇(しったん)を学びました。
752年、東大寺大仏開眼供養の際、
声明が唱えられたことが記録にあります。
その後、9世紀の初めに弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)
により真言声明(しんごんしょうみょう)が、また中頃には慈覚大師円仁
(じかくだいしえんにん)により天台声明(てんだいしょうみょう)が
それぞれ中国から伝えられました。
ここでは、真言宗豊山派の総本山、長谷寺に伝わる声明「四智梵語」
(しちぼんご)を紹介します。その内容は、金剛界(こんごうかい)の
大日如来を讃歎するものです。

四智(しち)とは、
阿閦如来(あしゅくにょらい)・宝生如来(ほうしょうにょらい)
・無量寿如来(むりょうじゅにょらい)・不空成就如来
(ふくうじょうじゅにょらい)の智慧を表しており、
それは金剛界の曼荼羅全体を意味するものでもあります。

また、「四智梵語」は、多くの法要で唱えられるため、
真言宗の僧侶としても、唱える機会が最も多い声明です。
ご葬儀やご法事の際にも唱えられることが多いので、
皆さんも聞かれたことがあるかもしれません。

人は煩悩のかたまりゆえに華美飽食に溺れてしまう。
贅沢の極みに金糸銀糸でおられた服を着て楽をたのしむ。
庶民には口にできない高級素材を使用した料理を味わう。

健康に良いものと聞けば世界の珍味にまで手を出して
欲望の制御が効かなくなる。
それゆえに科学の発展は際限ない欲望を満たすために使われる。
真実を追求して原因を突き止める科学が、
それを利用して悪魔の手先になった。
科学は人間が入ってはいけない領域、
戦争の道具にまで手を染めてしまった。
科学者たちは時の権力者が要求することには逆らえず従うしかなかった。

五つの感覚は、自然を楽しみ、喜びを知り、味わうために備われた
機能であり、もっとも人間の本能が満たされる天からの授かりものである。
早朝にお寺の境内から聞こえてくる声明は煩悩で汚れ切った心を
清浄にしてくれて小鳥のさえずりと共に絵も言われぬ世界へと誘ってくれる。

本来美しいものを見るための「目」が
穢れ切った世の中を見るために使われる。
本来の脳を休めるための「耳」が
世相の雑音で溢れてしまっている。
本来草花をかぎ分ける「鼻」が
都会の悪臭によって機能を失う。
本来自然の味を楽しむ為の「口」が
農薬や食品添加物まみれの食材で汚される。
本来危険を察知するための「皮膚」が
様々な薬品を摂りすぎて炎症を生み出している。

科学の進歩と近代化は崇高な人間の身体を犯してはならない。
人間は欲を抑えることにより本来の機能を取り戻すことが出来る。
声明を口ずさむことが出来ればいつでも仏さまと繋がることが出来ます。


犬も歩けば棒に当たる




私が22歳の時に英国に行かなければ、
エルビンジョーンズ(世界的なジャズドラマー)にも、
バニーケッセル(世界を代表するジャズギターリスト)にも
アルスチュワート(英国を代表するギターリスト)にも
ジェームステイラー(米国を代表するフォークシンガー)にも
出会わなかった。その経験のおかげで帰国後に大手レコード会社へ入れた。

憧れは現実化する象徴的な出来事である。
座っていても運は開きません。歩いていたから棒に当たったのです。
成功話を聞いて遠い向こうの人の話とは思わずに、
自分にも可能性はあると信じることです。
「思考は現実化する」ナポレオンヒル著

家柄も才能も無くただの風来坊が東大出身に勝てるのは、
同じ青春の時期に机に齧り付いて勉強してきた人達と
闇雲に経験をつみ重ねてきた私の時間の差である。
勿論、長い目で見れば管理能力に優れているのは
彼らであって私ではない。
これは中国の朱子学「知先行後」知識が先で行動は後の考え方である。
私はあえて陽明学「知行合一」の知識と行動が共にある方を選んだ。

大学の時には別れた母親に会いたくて京都から栃木まで
徒歩とヒッチハイクで訪ねて行った。
まさに「母を尋ねて3000千里」を実行したのである。
思い立ったらすぐに行動に移した。立ち止まってメソメソするのは性に合わない。
SONYに入った時も英国から戻ってすぐに電話を入れた。
「私は能力があるのできっとお役に立ちます」この一言で入社した。

スタジオでアルバイト中に聞いた「いちご白書をもう一度」が気に入り
宣伝を独自にやる依頼を事務所にして、その日の夜から深夜番組から雑誌社、
有線放送など電話帳で調べて歩き回った。
全国の大学の映画研究会へ「イチゴ白書再映推進委員会」の手紙を送った。
映画配給会社へラルドへ再上映のお願いにも行った。
たちまち話題になり大ヒットになった。
特に文化放送の深夜番組「セイヤング」谷村新司さんにはお世話になった。

あの頃は手書きで書いたプロデューサーの名刺を持って、
北海道から沖縄までライブハウスや放送局を訪ね歩いた。
そのうちに個人的にプロモーションマップができておおいに活用した。
協力していただいた関係者には最新音楽情報をいち早く届けたのである。
東京の放送局や雑誌社にも海外の情報を含めて送り続けた。
音楽は勿論、ファッションから若者たちのトレンドまで
送り続けているうちに個人的ONAIR率&占有率がNo1になっていた。
いわゆる独占状態になったのである。自社・他社からクレームが入った。

何故かいつも扱いの難しいアーティストは必ず私へ担当依頼が回ってきた。
勿論、私が探して来たアーティストも会社では嫌がれていた。
私は元来天邪鬼なので人が良いとする音楽には興味がなく、
他人が批判する音楽へと関心が向いた。
これが他人よりヒットが多く出た要因である。
これはマーケティングの手法にある。

私はここで「日本人の肩越し文化論」を持論として話し回った。
多くの日本人は人が群がっているところへ肩越しに覗き込み様子を探る。
そして面白そうだったら初めて前へ出る。それから吟味して仕事に導入する。
これじゃスピードに乗れないしオリジナリティの作品は作れない。
この文化論をあちこちで話しているうちに沢山の人に興味を持たれて
いくつも講演の声がかかった。

代理店も雑誌社も放送局もファッションブランドからも声がかかった。
そのうちにレストランのオーナーからも相談に乗ってくれと頼まれた。
文化服装学院からも特別講座を頼まれて講師もやるようになった。
海外にもよく出かけた。レコーディングや撮影を兼ねて
現地のヒット商品を見て回った。
そして必ず地元の食堂やライブハウスへ行き地元民と触れ合った。

現代は情報化社会になり世界がネットワークでつながり
座っていても最新情報が手に入る。
これじゃ歩いて棒に当たる機会が完全に失われてしまった。
80年代後半レコーディングにコンピュータが入り込み、
偽物の音楽が安価で作れるようになって引退を覚悟した。
現場から離れて音楽制作の経営をLAと東京でするようにした。
しかし私が気に入ったアーティストのみ自分で作るようにした。

2000年に入り韓国の映画会社や中国の音楽事務所とも仕事をした。
どちらも反日感情が根底に残っている国である。
だから相手も日本人と仕事をするとなると覚悟がいる。
表面上の友好は結べても腹の底までは分からない。
これは日本側にもあることである。

親の職業や財産の保有、出身校、後ろ盾のある無しで
値踏みをする人が多くいました。今も昔も上から目線で話をする人たちです。
権力を一度握った連中は全てを正当化する。
戦争もこのような人たちの間違った判断で行われたのです。

日本がどんなに言い訳しても侵略した事実は変えられず、
戦時中に悪いこともした人も沢山いたということです。
まだ、中国や韓国の様に反日感情を全面に出している方はマシです。
日本はアメリカに対して一切反米感情を出しません。
日本人は敢えて悔しさを飲み込んだのです。

私の恩学に近い表現をする人がいました。
参考例として取り上げます。

予備校で古文のカリスマ講師吉野敬介さんの言葉です。
俺の考える成功の三原則とは「機敏さ」「行動力」「社交性」だ。

①機敏さというのは、フットワークの軽さだ。気になる情報を耳にしたら、
すぐに調べてみる。興味をひかれた本は、すぐに読んでみる。
思い立ったら、すぐに動くことが大事だ。
②行動力は、まず自分自身が動けということ。どんなに素晴らしいアイデアを
思いついても、自分から動かなければ、何も始まらない。
③社交性とは、積極的に人間と関われということだ。メールより電話、
電話より会いに行け。自分の体と時間を使って、誰かに会って話す時間を
何よりも大切にしろということだ。

如何でしょうか?「感即動」機敏さと行動力です。
そして何よりも人に愛される性格になる事です。
あちらこちら歩かなければ犬も棒に当たることは無いのです。

「犬も歩けば棒に当たる」とは、
① 何かをしようとすれば、何かと災難に遭おうことも多いというたとえ。
② 出歩けば思わぬ幸運に出会うことのたとえ。
さてあなたはどちらのたとえを選択しますか?


不登校な子を持つ親




【 学校に行かないという選択 】
平岡亮子さんの投稿(掲載に関して承認済みです)

うちの娘は中学1年の
GW明けの中間テストの後から
あまり学校に行かなくなりました

中2で行ったのは数日かな?

娘の学年の子どもたちは
あたしの独断と偏見では
小学生の頃は驚くほどみんなお利口さん

よく言えば
「躾がよくできた模範的な子たち」

悪く言えば
「面白みがなくてちょっと怖い」という感じ

娘は授業参観のときに
騒ぎはしないものの
明らかにやる気のなさがダダ漏れで
退屈そうな態度をしていました…

ただ6年生の時の
担任の先生が素晴らしくて
その時は楽しそうに毎日学校に行ってたし
授業態度も「かなりまし」なってました

中学に行くと
勉学のできるできないで
差がつく事が明確になったし
授業の難易度も増すし
制服や髪型なども含めて
あらゆる面で自由も制限されて
もの凄い窮屈になったのだと思います

授業参観に行ったけれど
相変わらずお利口さんが多めで
模範解答を答える子が多くて凄いんだよね

教育熱心な親が多いと
こうなるんだな…という感じ(笑)

娘は「行く意味が分からない」
と言って行かなくなったのだけど
行かない選択をして断固行かないというのも
なかなか大した精神力だよな…と思う(笑)

あたしも中学時代は楽しくないし
行く意味がないと思っていたのだけど
病気でもないのに休んだら叱り飛ばされるので
皆勤賞を取るほど休まず通っていたのね

体だけは健康で
インフルもかかった事がなくて
かかる子が羨ましかったくらい

で、勉強は嫌いだから
成績はボロボロで
再試や再提出を何回やったか分からないし
授業中はよく寝ていて
ただただ終わる時間を大人しく待ち
帰宅部なので帰宅して
夕飯まで寝て待つようなひどい学生時代

中高は私立で
授業料が高かったはずだけど
今思うと申し訳ないことをしたと思う

でも、子どもの適性と合わない学校に
行かせると無駄使いになるということは学べた

自分の経験からして
叱って行かせるのは違うと思うので
娘に学校に行くようには言った事はない

駄菓子菓子

担任の先生は不登校の生徒がいると
評価に影響するから困るんだろうね…

ショートメールで
テスト前に必ず連絡をいただく

「お世話になります。
先程、お電話でまいさんとお話させて頂きました。
来週、14日~16日が期末試験になっています。
別室での受験もできることをお伝えしました。
ご家庭でもお話を頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。」

いつもなら当たり障りなく
「ご連絡ありがとうございます。話してみます。」
と答えても、特に何もしないのだけど
何となくそう答えるのに違和感があった

担任の先生は3年ほど会社に勤め
教師に転職して2年前に教師となり
今年は初めて担任を持った27-8歳の男の先生

高校野球に出るほど
アオハル学生時代を謳歌していた
熱血系の体育教師なので
おそらく学校に行かないタイプの子を
理解するのは難しいと思ってやり過ごしていた

彼は娘の体調が悪いと
思い込んでいるけれど体調は悪くない

当たり障りないお返事を
続けるのも何か違うと思ったし
もう少し生徒の氣持ちも
考えてみてって思っちゃったんだな

「ご連絡ありがとうございます。
授業を受けていない中、
期末試験のために登校するのは厳しいと思います。」

ただそれだけお返事しました^_^

授業に出るのが嫌で学校に行かない子に
期末試験だけ受けに来るように連絡が来るって
どんだけハードルが高いことか…

察する氣持ちが持てないまま
アプローチをし続けてくるのは
いかがなものなのだろうと…

「この子は行かない選択をして
そのリスクは自分で負うしかないので
無理に行かせようとは思ってません」
とは面接で言ってるんだけどね^_^

同じように不登校の中学生の親御さんで
悩んでいる方に言えるとしたら

「決して無理して学校行かせる必要はなく
人生において用意されている課題を
早めに取り組みたい魂なだけだから
いずれよくなると信じて
自分に合った高校を探させてあげて」
ということかな^_^

心配するだけ損だし
下手したらそれは呪いになるからね

中学生の死因の断トツのトップは自殺

不慮の事故の中に
遺書がない自殺が
かなり含まれているはずだからね
(遺書がないと自殺と認定されない)

誘拐でも殺人でも病気でもなく
自殺なのだけど、
その原因は自分らしく生きられないからだよね

もし学校が、自分らしく
生きられない場所だとしたら
行かせたら死に近づくことになる

そして、行かない選択をした子に
行くように叱ったり期待したら
やはり子どもは居場所を失うことになり
家が自分らしく居られない場になる

それは一番避けたいところ

娘は高校には行きたいと言っていて
「学生生活を味わいたい」と言っている

居場所は家庭以外に欲しいもんだよね^_^

でもさ、とりあえず
生きていれば上等じゃない

人生なんていくらでも
自分の力で切り開けるからね

そもそもこれから
世の中がひっくり返るって時に
生きる力があるかないかが
一番大事になるんじゃないかな

これは大人もそうだけど

もし一時的に絶望感を味わっても
軽やかにそれを脱ぎ捨てて
いかに自分の居場所を作ったり
みんなが生きやすい社会を作れるか
が大事になるでしょう^_^

まいちんには
期末試験を受けさせることが
生きる力にはならないし
むしろ奪いかねません…
という話なんですよ、先生^_^
以上

私も時々子育ての相談を受けます。
しかし多くの大人は自分たちが受けた過去の教育で子供を育てようとします。
大幅に時代が変化しているのに旧態依然として変わらぬ方式です。
一律に学校や世の中に従う「素直な子」として教育します。
それで良いのでしょうか?
今、我々が作った世界で子供たちが苦しんでいます。

人生経験のない教師が学校の規則に従い教壇に立つ、
しかしそこに愛はありません。
学校は入学させて卒業させるのが仕事ですから
校則の枠からはみ出す子供に悩むのです。
本来学校といのは悩みを解決させる為にあるのであって、
悩んでる子供を連れ戻す為にあるものではないのです。
悩みのもとを探さなければ同じことの繰り返しになるばかりです。

ニイルのサマーヒルが原点の自由な学校があります。
「まず子供を幸福にしよう。すべてはそのあとにつづく」
子どもたちが優先で授業内容を作り、課外授業で野菜を作り、
好きなプロジェクトを選びさまざまな活動をする学校があります。
先生も宿題もテストもない学校です。
和歌山県橋本市にある「きのくに子ども村、小学校・中学校」です。
(興味のある方は調べてみてください)

未来のこの国は子供たちが作るのです。
大人はそれを応援するのが役目です。


悩みのもと




一鏃破三關 (いちぞくさんかんをやぶる)

悩むとは?
漢字の成り立ちで検索するとこのような解説がなされていた。
「なやむ。思いわずらう」
惱の右側は、まるい頭の上に毛のはえたさまで、頭脳の脳(=腦)の原字。
惱はそれを音符とし、心を加えた字で、頭脳をなやますこと。
予期せぬことへの悩みか、起こりえることへの悩みか、
それとも無理難題な要求の元への悩みか分からない。
いつの世も悩みは単純で解決するのは自分自身である。

「ちょっとした覚悟と工夫で難関もあっけなく通り抜けます」

一本の矢で鹿の群を全部射倒すことができますか?
そんなことできるわけがない、というのは常識の人です。
禅の世界ではそれができると言います。どうするのでしょうか。
簡単に言いますと、弓も矢も捨ててしまえばいいのです。
簡単すぎましたか。
 
さて、同じような言葉、一本の矢で三重の関門を射抜く、
とはどういうことでしょうか。

人の真のあり方を求めても、それは何重もの煩悩や関門に
取り囲まれたごとくで、何一つ思い通りになりません。
その難関を一挙に突き破る、という力強い表現で、
禅の奥義を示しています。
 
「三関」は三つの関門。いくつもの難関の意味です。
それを打ち破るには矢を、つまり標的を自分の心に向ければいいのです。
そうすれば難関は一挙に消え去ってしまうのです。

仏だの凡夫だの、悟りだの迷いだの、全部とっぱらって、
ただ信ずる道を真っ直ぐに突き進む。
その瞬間、目指すべき到達点は足元にあります。
出典:『碧巌録』第五六則

良禅客、欽山に問う、一鏃もて三関を破る時、如何。
山云く、関中の主を放出し看よ。そこに真理が存在する。

いつでも矢を放つのは自分の心です。
目の前の問題にあたふたするのでは無く
自分の中に取り込み解決する方法を導き出すのです。
そうすれば悩みから解放される。他人のせいにするのでは無く、
全て自分の心が起因していると思えば、自ずから解決の道は開かれる。
悩みから逃げるのでは無く、悩みの中に飛び込む勇気が必要です。

私が誰に対しても物怖じしないのは、子供の時に聞いた
仏教語「生老病死」の言葉です。
人間なんてどんなに偉くなっても、どんなに金持ちになっても、
道端に寝転んでいる乞食と同じで、僅か70年の人生しかない。
生まれて、老いて、病気になって死んでいく。
これは誰にも平等に訪れる運命なのだ。

この言葉を聞いてから教師に対しても大人に対しても
医者や政治家に対しても怖さがなくなったのです。
それは馬鹿にしているのではなく、人間皆対等だという意識が芽生え、
みんな同じ人生の長さでしか生きられないじゃないかということです。

自分の人生がどんな状況でも他人に向けて悩み苦しむのであれば、
一切そこを的としなかったのです。自立心の芽生えです。
自分で高校・大学を選び、自分で海外に出掛けて、自分で会社を選び、
問題が起こっても、うまくいっても判断は自分だったのです。

子どもの時からやりたかった事を正直にやって来たので、
問題が起こるとすべて自分で解決することを覚えたのです。
他人に委ねると上手くいっても、失敗しても他人の結果でしかありません。
もしあなたを守ってくれる人がいるのならもっと冒険をするべきなのです。

子供の時からむやみに憧れを持ったり、自分を卑下したりしないで
その時、その時を大切にして生きてきました。
そうすると自分のしたいことが足元にある事を知ったのです。
それはいつでも自分の望む事、直観の感性を大切にする事でした。
誰もが本当にしたいことが分かっているはずです。

それを表現できないから悩み苦しむのです。
「夢」という感情を引き出しの奥にしまい込んでは駄目です。

悩んだ時には、他人に矢を放つのでは無くて、
自分の心に矢を放ってください。
そこから見えるもの、気づくものがあります。
他人の行動や結果を羨ましく思うのではなく、
また他人から言われる言葉に一喜一憂するのではなく
自分の心に聞いてみるのです。

私が禅語を愛しているのは論理的に考えて答えが出ない場合、
あらゆる問題を一言で教えてくれるからです。
皆様も悩んだ時には禅語をお調べください。スッキリします。

例えば「莫妄想」
「莫妄想」とはどういう意味かというと、
「莫」とは、なかれのことで、禁止の意味を表わします。
「妄想」とは、一般的には実体のない虚妄の想念のことで、
色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが、
禅ではもう少し深く考えます。
私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、
二つの相対する概念を作り出し、その一方に執着して苦しみ、
迷うのですが、この二つに分けて見る相対的な分別心
そのものが、すでに妄想というのです。

故に莫妄想とは、生死、善悪、是非になり切ってやって行け!
というわけです。“莫かれ”という消極的な言葉に反して、
より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、
全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けというのです。

最後に「自動扉は近づかないと開かない」
悩みや困難から逃げていると一生扉は開きません。
勇気をもって悩み困難の扉に立ち向かってください。
想像している以上に扉は簡単に開きますよ。


幼児教育




私の友人の演劇プロデューサー堂本麻夏さんの投稿です。

「ニューヨークではどんな幼児教育があるか知りたい」

今回は私が主催しているコンペティション形式のミュージカル・ライブ
「SMASH CABARET」の年間チャンピオンが、長年お世話になっている
大好きなBroadway Sessionでブロードウェイの俳優さん達と
同じステージに出させてもらうのでニューヨークに来ました!

それとは別でニューヨークに来る時はテーマを持ってくる。
今1番気になっていることは、やっぱり幼児教育。

3歳になったばかりの息子は保育園に通っていて、先生方もみんな優しいし、
3歳にして発表会でソロの台詞まであったり(1番ちびっこだけどヤギパパ役)
いろんな経験させてもらってるけど、ベストな環境とは言えないことが多々ある。
クラフトの時間はみんな同じロボットを作って、同じ場所に同じパーツを置くように
指示されて、そこまではわかるけど、違うことした時に修正されたのは、
そこまでしなくてもと思ったり。幼稚園の見学もいっぱい行ったけど、
やはり園長先生の発言で「お母さんに優しい」という表現があっただけで
疑問を持ってしまってなかなか決められず一年見送ることに…。

そこでニューヨークではどんなところがあるのかなと歩きまわって
見学させてもらうことに。現在初日にも関わらず何軒も見学させてもらい、
本当にありがたいことに飛び込みにも関わらずみんな優しくツアーしてくれる
ユニークなところもればうーんというところもあるけど、運命の一軒に
出会ってしまった…!

モンテッソーリとレッジョ教育をベースにしていて、
先生方はみんなアーティスト(アクター、ミュージシャン、ペインター)
それぞれ得意分野があって、何十年も幼児教育に携わるGregという
オーナー自身もアーティストで、クラスルームに限らず廊下階段、
どこまでもアートに溢れている。

自由なアートキッズが登園する時間は外で先生が楽器を演奏して迎えたり、
先生たちが愛にあふれている。先生たちが楽しんでキッズ達と
アクティビティをしているのが伝わってくる!
ツアーをしてもらったあとはなんだか夢のようで
こんな世界を作ってくれてありがとうという気持ちになった!

まだポツポツとした計画しかないけど、こんな場所があったらいいな、
作っていきたいなと思った!

そしてやっぱり大好きなニューヨークを歩いてて改めて思うのは、
違いがあるからこそクリエイティブなものが生まれていくんだなということ。

子どもには安全第一に、自由な想いを大事にしてほしいし、小さいかもしれないけど
必ず何でもできると信じてほしいなと、何時間も街を歩き回りながら思いました。
そして私にとってはこういう発見は本当にエネルギーの源!

以上が堂本麻夏さんのFBに上げた投稿です。
(ご本人の許可を得てアップしました)

ここに出て来る「レッジョ教育」を深堀しました。

レッジョ・エミリア教育とは、イタリアの都市レッジョ・エミリアで発祥され、
子どもが主体的に活動し、それぞれの個性を引き出すことを大切にした
教育方法のひとつです。
教育理念の象徴として100人子どもがいれば、100通りの考え、
表現方法があるという「100のことば」を掲げています。

また、アート活動やドキュメンテーションなどを取り入れ、
子ども自らが展開したい事柄や物事を中心に、プロジェクト型の教育を
行うことも大きな特徴です。日本においては、アートを楽しむ時間を設けたり、
子どもたちの活動を写真や動画で残したりと、この教育を取り入れている
保育園や幼稚園があり、保護者の方々も注目している教育方法でしょう。

レッジョ・エミリア教育は、子どもそれぞれの個性を引き出す方法として
「社会性」「時間」「子どもの権利」3つの教育理念を唱えています。
• 社会性:子どもの社会性を育むために、4名~5名のチームを作り、
意見交換の中で活動を展開していく
• 時間:時間割やタイムスケジュールなどは設けず、長期的なテーマに
チャレンジし、深堀していく
• 子どもの権利:子どもが主体的な活動を行うことができるよう、
否定的にならず、子どもの権利を尊重する

子どもたちが「自ら考えて行動する力」「自ら学習する力」を高められるよう、
関わる大人は、子どもの取り組みを急かさず、否定せず…といった、
自主性を大切にした教育を実践しています。

自らの意思で活動を展開すると、学習意欲を高め、関心を抱く事柄を選択する
能力も育まれることでしょう。
また、時間割を設けずに長期的なテーマ(アート作品など)に取り組むことは、
ユニークなアプローチ方法のひとつといえるかもしれません。
集中力や探求心、持久力などさまざまな力を養うことにつながりそうですね。

レッジョ・エミリア教育方法と一般的な教育方法の違いは
「教師の指示で動くのではなく、子どもたちが自ら行動する力」を
大切にしている点かもしれません。
ただ、日本の保育園や幼稚園では「導入」という方法を大切にしており、
子どもたちが主体的に活動に参加できるようサポートしています。

例えば、先生が活動の前にその内容に関する手遊びや歌遊びなど
さまざまな導入方法を行い、楽しく活動を進められるような声かけが
行われているようです。
また、自立心や社会性を養うことの大切さは、日本の保育・教育活動の
指針である「保育所保育指針」、「幼稚園教育要領」においても
記載されています。

レッジョ・エミリア教育方法とのアプローチの仕方は異なりますが、
子どもの成長を支えるという方向性は、共通する点が多いかもしれません。

以前の投稿「大切なこと」(恩学)で各国の青少年教育の方法を紹介しました。
マリア・モンテッソーリー教育(イタリア)自己教育力
ロドルフ・シュタイナー教育(ドイツ)総合芸術
A・Sニイル・サマーヒル(イギリス)自己決定・個性化・体験学習
フルケ・ボイスコーレ(デンマーク)民衆の大学

それぞれに良さがあります。
お子様をお持ちのお母さんは調べてみてくださいね。
均一化された教育から個性は生まれません。


行雲流水




他人の言葉を素直に受け取ることが出来ますか?
他人の笑顔を素直に信じることが出来ますか?
他人の親切を素直に従うことが出来ますか?
目に見える世界を全てだと思いますか?
耳に聞こえる音を全て心地よいと思いますか?
口に入れる物を全て栄養だと思いますか?

遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)

「遍界」とは、すべての世界、世の中のことです。 
「不曾蔵」とは、隠していない、ありのままそこにあるという意味の言葉です。
真実を隠すものは他でもない、あなた自身の疑いという名の眼差しなのです。 
真実、知りたいことはそのまま表れているものなのです。 
知りたいことがどうしても見えないのだとしたら、それは自分の目が
曇っているから、心が違う方向を向いてしまっているからに他なりません。

人は疑い深い生き物です。 例えば残業を手伝おうかと言われても、
何か見返りを求めているのではないかなどと疑ってしまいます。 
その疑念を捨てて、正直にありがとうと言いましょう。 
疑いの気持ちは相手に伝わってしまいます。

疑いなく世界を見つめれば、ものごとの本質にたどり着くことも、
さほど難しいことではないと思います。 
誰かが何かを隠そうとしていても、そこには「隠そうとしている」
という事実が見えてくるはずです。
まずは、自分の中の疑いを取り除くことから始めましょう。
疑いのフィルターを外して真実を見抜くのです。
そこに全ての解決がある。

任運自在(にんうんじざい)
自然を見ても、世の中のすべてのものは自ら運び動いていることに
気づかされます。
春になれば植物は芽吹き、夏に向かって花を咲かせる。
そこにたくさんの虫や動物たちが集まってくる。
これらはすべて自然の計らいごとです。
こうした大きな流れに任せて、人間も生きることが大切です。

私たちはつい、物事に対して損得で考えてしまいます。
これは得なのか、損なのか。
そして計算通りに運ばないところに、悩みが生まれてくる。
あるいは物事に執着してしまう。
これだけは手放したくない。これだけは絶対手に入れたい。
これもまた、思いが叶わないところに悩みが生じてくる。

つまり、人間の持つ悩みというのは、自らが生み出しているものが
多いのです。悩みには大きく分けて3つあります。

1つ目は、自分の努力で解決できる悩み。例えば仕事ができない、
家事が苦手だということ。
これらは自分の努力で解決するしかありません。

2つ目は、悩む必要のない悩み。ほしい鞄を買うお金がない。
楽しいことがない。やりたいことが見つからない。
もしこんなことに悩んでいるのなら
人生を無駄にしているようなものです。
まずはこういう悩みを取り去ること。

3つ目は、自分の力ではどうしようもない悩みです。
自分自身や家族が病気になる。災害に見舞われる。
そんな時は自然の流れに身を委ねるしかないのです。
人間にはとても及ばない見えない力。それに任せてみることも必要です。
その中で生きる勇気を失わなければ、きっといい方向に運んでくれます。

ほとんどの情報は視覚から入って来ます。
その視覚の判断は脳がするわけですが、
脳は生まれた時からの環境と育った状況の中から、
左脳で判断する論理性思考と右脳で感じる情緒性思考で
答えを出すのです。

ということは私が見ている世界とあなたが見ている
世界は違うということです。
簡単にいうと美しさを競うミスユニバースを見て、
その美しさを手放しで喜ぶ人と、解剖学的に骨を思い浮かべる人と、
美しいという文字は羊が大きいと書くということを
思い浮かべる人もいるのです。人それぞれです。

AIが論理的に判断する内容がすべて正しいとは思わないでください。
カラオケマシンが採点した結果が歌の上手な人と思わないでください。
デジタルカメラで送られてきた画像が真実なのだと思わないでください。

理性と感性のバランスの良い人は冷静に判断が出来ます。
ネット通販の写真を見て、良質か粗悪か、真実か偽物か
直観で見極めることが出来ます。

「遍界」とは、すべての世界、世の中のことです。 
「不曾蔵」とは、隠していない、ありのままそこにあるという意味の言葉です。
真実を隠すものは他でもない、あなた自身の疑いという名の眼差しなのです。 
真実、知りたいことはそのまま表れているものなのです。 
知りたいことがどうしても見えないのだとしたら、それは自分の目が
曇っているから、心が違う方向を向いてしまっているからに他なりません。

「行雲流水(こううんりゅうすい)
水や雲のように自由に生きようという意味の禅語」
水の流れや雲の流れは誰の指示も受けていません。上から下へ、
風に流されというように悪いイメージも想像してしまう言葉ですが、
水は岩も穿ち、雲もこだわりなく姿を変えていきます。
みんな自由でいいという言葉です。
誰かに翻弄された人生や行動は自分の生き方とは言えません。
もう少しだけ、禅語に従って自分に素直になってみましょう。

眼は心の入口です。
常識の捕らわれずに素直な目で物事を見つめてください。
溢れるフェーク情報に惑わされては駄目ですよ。


Don’t Look Back




過去を見るな、過去に縋り付くな、過去を振り返るな。
歩いてきた道ばかりを見ていても何も始まらない。
その上に遺跡のような教科書を読み漁っても得られるものはない。
自分が劣っている部分を何度も確認しても成長するわけではない。
前向きな行動こそ最良の解決方法である。
今こそ手を動かして足踏みをして土まみれになるのだ。

若者たちよ!都会の病院で生まれてコンクリートの家に住み、
金儲けばかり考えて、果ては精神的に壊れて行き場を失う。
これが幸福かと高層ビルを眺めてため息を吐く。
どこにも自分の居場所が見つからず夜の繁華街を彷徨歩く。
騒音のダンスホールでおかしな動きの奴らと共に踊りまくる。
夜明けのカラスたちと始発電車に乗り込みねぐらに帰る。

今こそ目覚めよ!沢木耕太郎の「深夜特急」を片手に海の向こうへ渡る時だ。
今やパソコンとスマートフォンがあれば何処の国でも道に迷わない。
最悪なアナログの状況と最強のAIを組み合わせて生き残ることを薦める。
生きるために働き、生き残るために仲間を作る、生きる夢を掴むために彷徨。
諦めずにワンピースのルフィと同じ体験をするのだ。
きっと自分の国で2〜3年行方不明になっても誰も気にしない。
今こそチャンスである。

グローバル!世界が一つなんてまやかしである。
SDGsなんてスローガンは理想であって実行不可能である。
トランスジェンダーの意味もわからずに議員たちが騒ぎ立てる。
ウェルビィーングな働き方も報酬に反映されなければ意味が無い。
若い労働者が響きの良い音に騙されているだけである。
そろそろ目を覚ましてくれよ。

これから最強の敵はAIなのだ、ここに勝つのは
人間性と想像力なのだが、SNSのフェークニュースに
惑わされて臆病になるなよ。
自分の意識と感性で敵が味方かを判断するのだ。
無意識の意識を働かせて野生に戻るのだ。
不登校はもはや当たり前、出社拒否も当たり前、
結婚拒否も当たり前の時代になっている。
過去の枠(常識)から離れ無ければ未来に手が届かないのだ。

後ろを振り返るな!未来は前方にしかないのである。
歴史に学び過去の書物からエキスを搾り取り現代に応用する。
所謂、アナログとAIの化学反応を起こす能力が必要になる。
古代地層に堆積された動植物の死骸が石油となり、
我々人類のスピードアップに必要な原動力となったように、
全てをエネルギーとして新世紀の化石燃料を現代に甦らせるのだ。

現代の若者たちはスマーフォンとコンピューターで
世界と繋がることが出来る。
大切なことは違う音が集まって音楽になるように、
世界の個性が集まって改革を進めることだ。
そして全て世の中の摂理は複雑でなく単純なである。
均一化させようとする政府に教えていかなければならない。
違う音とは個性なのである。世の中を構成するということは、
異種の集合体であることなのです。それは楽しいことである。

一つの国の言語(英語)と一つの通貨(ドル)を使わせ、
世界中で仕事を薦めるのは奴隷の鎖とおもわないか?
その鎖を操るのはアメリカなのである。鵜飼の鵜匠と同じである。
我々は自国の文化や風習をもっと大切にすべきだ。
レジリエンスの時代はグローバルからグローカルへと移行する。
自分たちで自然資源を利用して燃料と食料を自給自足する、
そして自然圏の保全と管理をする事になる。

リーダーとは最悪な状況を想定して次の手を打てる者をいう。
そして手を打つ順番を間違えないことである。
自国の被災者の救済より他国の支援を支援する必要は無いのである。
我々は持てる力を最大限に発して最小の災いごとで済ませるのだ。
快楽を手に入れる前にもっと学びを取り入れなければならない。

至急ジェレミー・リフキンの「レジリエンスの時代」を読み、
未来の参考書として語り合うべきである。
もう後ろを見てもそこから未来は見えないのである。

これまでの「進歩の時代」において人類は、地球の恵みを収奪し、
商品化し、消費を最大にして生きてきた。
だが、無限の成長と超効率化を絶対視したせいで、
環境危機と地球温暖化が発生。洪水、干ばつ、熱波、山火事、台風が、
生態系とインフラを破壊し、人類の生存を脅かしている。

この危機を脱するために必要なのは、「レジリエンスの時代」への大転換。
地球を人類に適応させるのではなく、人類を地球に適応させるのだ。
自然と共感的に関わるためには、経済・政治・社会の見直しが必須である。
科学技術にも精通した世界的な経済社会理論家が、未来への処方箋を示す。

著者紹介ジェレミー・リフキン
経済社会理論家。欧州連合、中国、メルケル独首相をはじめ、
世界各国の首脳・政府高官のアドバイザーを歴任。
経済・社会・科学技術を分析し、未来構想を提示する手腕への評価が高く、
アメリカ政府の政策形成にも大きな影響力をもつ。
経済動向財団会長及びTIRコンサルティング・グループ代表。
ペンシルヴェニア大学ウォートンスクール上級講師。
『限界費用ゼロ社会』、『エイジ・オブ・アクセス』、『第三次産業革命』
などが世界的ベストセラーに。
1980年代から気候変動の危機を訴えるなど先見性にも定評がある。

暫くは私の座右の書として何度も読み返すことになる。